第1章−21『偽りの契り』
第1章−2
『偽りの契り』



「……ん」
 窓から射し込む朝日でナツキは目を覚ました。清々しく気持ちのいい朝である。ナツキは上体を起こすと、隣で寝ている女の子に目を向けた。
「すぅ……すぅ……」
 規則正しい寝息が部屋に響く。全てのしがらみから逃れ、安心しきっている寝顔にナツキはしばしば見とれた。彼もまた、こんなに気持ちのいい朝を迎えるのは久しい記憶がある。
「さて、今のうちに行くか…」
 ナツキはベッドから出ると、女の子の肩までシーツを掛けて部屋を出た。
「……くっ」
 強いくらいの日差しがナツキの目に飛び込んできた。それに目を細めながらあたりを眺める。昨日と同じ場所。だが、朝と夜の違いは町そのものが違うような雰囲気に包まれていた。当たり前のようにあった奴隷市場が全て閉まっている。その中には開店の用意をしているのもあるが、それもごく僅かであった。
 ナツキは昨夜の記憶をたどりながら足を進めた。昨日、女の子を買った店を探すが、あまりの光景の違いに無駄に時間を費やしてしまった。そしてなんとか店を見つけると、タイミング良く店主が出てきた。
「これはこれは、“ブレイドマスター”様じゃないですか〜」
「………」
 店主の言葉にナツキの目つきが変わる。それを見た店主は慌てて手を振った。
「これは失礼しました。それより、アイツはどうでしたか?失礼などはしませんでしたか?」
「そんなことより、話がある」
「なんでしょ?」
「あの子を買い取りたい」
 ナツキの言葉に店主は間抜け面になった。
「金はいくらでも出す」
「そ、それはいいんですが…」
「なにが言いたい?」
「あんな奴より、もっといい娘がいますぜ?あんな役立たずを“ブレイドマスター”に売ったと知られたら、信用にかかわるってもんですぜ」
「それは俺が決めることだ」
 ナツキは冷ややかに、そして強く言い放った。店主はそれ以上、不満は言わなかった。
「わかりやした。それでは勝手に持っていってください」
「金は?」
「そんなのはいりません。それより、宣伝しても構いませんかねぇ?」
 宣伝?――ナツキの頭の中に疑問が浮かんだが、それも一瞬にして無くなった。店主のいわんとすることを理解したからである。
「勝手にしろ」
「はい!“片目のブレイドマスター”が買ってくれたとなれば、この店も有名になるってもんだ。へっっへっへ!」
 ナツキは不気味に微笑む店主を後目にそうそうと去っていった。

「………?」
 女の子が目覚めると、そこには誰もいなかった。自分ひとりだけのベッド。昨日の人はどこに行ったのだろうか?そんな疑問を抱きつつ、女の子は欠伸をした。
「あふ、こんなにグッスリ寝られたのは久しぶり…」
 そう呟いて思い出す。昨夜はそのまま一緒に寝て――もしかして、寝てる間になにかされちゃったかしら?気になった女の子はシーツをめくり、中をのぞき込んであれこれ確認した。
「……なんにもされてない」
 無事を確認するとホッと息をついた。そして少しガッカリ。
 あんなに優しい人なら、初めてを取られてもよかったかもしれない――次のお客さんが優しい人なんて保証はどこにもないから。
「なに考えてるんだろう…」
 女の子が思考を巡らしていると、不意にドアが開いた。
「起きたか?」
「あ、はい……おはようございます」
 ナツキが部屋に入った途端、女の子は緊張したように固まった。それを知ってか知らずか、ナツキはおもむろにベッドに近づくと、無造作に腰を下ろした。
「お前はこれからどうする?」
「……え?」
 突然の問いに女の子は首を傾げた。
「どうするかと聞いているんだ」
「そ、そうですね…。昼になったら店に戻るだけです…」
「その必要はない。お前は俺が買った」
 ナツキの言葉に女の子の目が丸くなった。自分が買われたということを自覚するのにしばらくかかったのは言うまでもない。自分の置かれた状況を把握すると、女の子はさっきと違って、あたふたと慌てだした。
「あ、ありがとうございます!こ、これからもよろしくお願いします!」
「礼はいい。それより、お前が自立したいのなら勝手にしろ」
「どういう意味ですか?」
「無理に俺についてくることはない。お前がひとりで生きたいのなら、それなりの金はやる」
 ナツキは剣の側に置いてある袋に手を伸ばすと、おもむろに中のコインを取り出した。そしてそれを女の子の目の前に並べる。その額はかなりのもので、これだけあれば半年は遊んで暮らせるほどである。
「お、お金なんていただけません」
「だが、金がないと生きていけない。お前の“資質”がなにかは知らないが、すぐ金になるようなものなのか?」
 ナツキの問いに女の子は俯きながら答えた。
「私、“資質”がないんです…」
「そんなはずはない。この世界の人間はなにかしら持っているはずだ」
「そうだったらいいんですけどね…」
 そこまで言って女の子の目から涙が零れた。その滴は止まることなく前に組まれた女の子の手に落ちていく。それを止めるすべをナツキは持ち合わせていなかった。ただ、言えることだけはある。
「俺についてくるか?」
「……私なんか、役に立たないですよ?」
「それは俺が決める。どうする?来るか?」
「ご主人様のご迷惑でなければ…」
 女の子はまだ涙を零しながらナツキの腕をギュッと掴んだ。人から求められることになれていない彼女にとって、ナツキの言葉はなによりも嬉しかった。自分は今まで役立たずで意味のない存在だと思っていた日々が、嘘のように無くなっていく。こんな私でも選んでくれる人がいる――その事実だけが彼女の胸に小さくそして遠く響く。
「名前は?」
「ぐすっ……え?」
「お前の名前は?」
「“リアラ=フォーティン”といいます」
 女の子は笑顔で答えた。その名前にナツキは記憶の中に引っかかるものがあることに気づく。
「フォーティン……どこかで…」
「変ですか?」
「いや、どこかで聞いたことがあるような…」
 顔の右側を隠すように手のひらを当てる。これはナツキが考えるとき、無意識にしてしまう仕草である。左目が機能してない彼にとって、全てを見えないことで集中しようという表れである。
 しばらくしてひとつの記憶にたどり着く。それはナツキにとって忘れがたい記憶であった。
「――“ラゴット=フォーティン”」
「あ、それって父の名前です」
「そうか…」
「父をご存じなんですか?」
「まぁ……な…」
 めずらしくナツキの歯切れが悪くなった。どこか雰囲気が変わったことに気づいたリアラは思い切って尋ねた。
「父とはどういうご関係だったんですか?」
「そうだな。――“宿命”」
「しゅくめい?」
「戦わずにはいられない存在…。そう言っていた」
「父らしいですね…」
 リアラは腕を離すと、ベッドから出てナツキの隣に座った。
 それを合図のようにナツキは淡々と語りはじめた。
「ラゴットは“ブレイド”では有名だった」
「そうなんですか?」
「ああ、“ツインブレイド”と異名を持つほどの腕だった。2本の剣を巧みに操り、その技は華麗のごとく、それでいて目にもとまらないほどのスピードを持ち合わせていた。かなりの手練れだった…」
「“ブレイドマスター”にそうまで言わせるなんて、父もさぞ満足だったでしょうね…。父は生前、『ワシの生涯は“ブレイド”で死ぬこと!それ以外は認めんっ!』って口癖のように言ってました」
 リアラはそのころに戻ったように嬉しそうに語る。その姿にナツキの心は少しずつ痛み始めた。このまま話していけば必ずぶちあたる壁。それが目の前にある。
「3年前、父は戦って死んだと聞かされました…」
「……お前も気づいているんだろう?」
「………」
「ラゴットを殺したのは俺だ」
 決定的な言葉をナツキは放った。ふたりの間に気まずい空気が流れる。
 だが、それは意外な言葉で破られるのだった。
「さぞ、父も天国で喜んでいるんだと思いますっ」
「……え?」
「それが父の本望でしたから、それでよかったんだと思います」
「……すまない」
「いいんです。でも、ひとつだけ聞かせてください」
「なんだ?」
「父は強かったですか?」
「ああ、俺が戦った中で2番目に強かった男だ…」
「そうですか…」
 リアラは嬉しそうに胸の前で手を組んだ。その姿はまるで天にいる父親に言葉を贈るように見えたのはナツキだけかも知れない。だが、そう思えることで何かか軽くなっていくような気がした。
 頭ではわかっていてもケジメだけはつけたい。ナツキは隠しナイフをズボンから取り出すと、リアラの手を取って握らせた。いきなり手渡されたものにリアラは驚きの声を上げた。
「こ、これは…!?」
「俺はお前の父の敵だ。俺が憎いならそれで刺せ」
「そ、そんなこと…」
「俺にはお前をどうこうする資格はない。お前の言うことは聞こう」
「ご、ご主人様にそんなことできませんっ!」
 大きな声で怒鳴ると、リアラは手のナイフを放り投げた。
 リアラの手から離れたナイフが宙をクルクルと舞い、床にドンッと突き刺さった。
「経緯はどうあれ、ご主人様は私のご主人様なんですっ!そんなこと言わないでくださいっ!!」
「………」
「こんな私を買ってくれたんです。それだけで満足です…」
「…わかった」
 ナツキは立ち上がると、先ほどのナイフと無造作に床に敷かれているマントを拾い上げた。ナイフは再びズボンに隠し、マントはリアラに羽織らせた。
「ご、ご主人様?」
「……ナツキ」
「え?」
「俺の名前だ」
「はい!ご主人様っ」
「ナツキだ」
 ナツキのやれやれといった顔見たリアラはハッと気がついた。
「はいっ、ナツキ様」
「ふぅ、まぁいいか」
 ポリポリと頭をかくナツキ。らしくない態度にリアラがクスリと笑うと、ナツキの目つきがやや変わった。それに気づくとリアラはベッドの上に正座になり、手をつきなら頭を下げた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「………」
「こんな奴隷ですが、精一杯、ご主人様のお役に立ちます」
「すまないがそういうのはあまり好きじゃない」
 ナツキの言葉にリアラは顔を上げると不思議そうな眼差しを向けた。
「俺はお前を奴隷だなんて思ってない。お前もそう思う必要もない」
「で、でも…」
「旅の連れだ。遠慮もいらん」
「そ、それじゃぁ――愛玩道具?」
「そうじゃない」
「性処理人形?」
「お前なぁ…」
「メ、メイド…?」
「悪くはないが、なんだか誤解されそうだ」
「お料理して掃除して、えと、それで……夜のお相手なんかもして…」
「そこまでしなくていい…」
 天然ボケなのか、わざとなのか区別がつかない態度にナツキは頭が痛くなってきた。
「そ、それじゃぁ――私は役立たずじゃないですかぁ〜?」
「そこまで言ってない。そうだな、適当に俺の身の回りの世話をしてくれたらいい」
「適当……ですか?」
「ああ、好きにしてくれたらいい」
「………」
 リアラの心は複雑だった。いくら買われたとはいえ、適当にしてくれていいと言われても戸惑うばかりである。やっぱり自分は邪魔者ではないかと考えてしまうのも仕方がないのかもしれない。
「さて、そろそろ出るぞ」
「あ、荷物をお持ちしますっ」
「いや、無理するな」
 床に転がっている大剣を持とうと手を伸ばすリアラに制止の声をかけるも、そんなことは耳に入らずリアラは取っ手を掴んで持ち上げようとした――が!
「お、重いです…!!」
「そうだろうな。俺以外は持てないんだ」
「……力には少し自信があったんだけど」
「無理するな、お前には無理だ」
 ナツキが大剣に手を伸ばすと、いとも簡単に軽々と持ち上げた。その光景をリアラは唖然と見つめる。
「す、すごいですねぇ…」
「感心してないで行くぞ」
「あ、あの…!」
 部屋を出ようとするナツキにリアラは声をかけた。その呼びかけに足を止め、振り向く。
「えっと、この格好で行くんですか?」
 自分たちの服装に疑問を持ったリアラは思わず口に出してしまった。本来なら口出ししてはいけない立場である事に気づいたリアラは口に手を当てた。
「大丈夫だ。この町を出る前に服を買ってやる。それに髪も整えてからな」
「そんな!悪いですっ、奴隷の私にそこまでしたら、ご主人様が睨まれてしまいますよ!」
「そんなことは気にしない。そしてお前が気にする必要もない」
「そ、それはそうですけど…」
「だったら黙ってついてこい。それと、以後『ご主人様』とは呼ばないこと。いいな?」
「はい、ごしゅ――ナツキ様!」
 部屋を出るナツキ、その後を嬉しそうについていくリアラ。
 ふたりの出会いが新たな旅の始まり。――そしてここから始まる伝説。
 伝説の筆跡は誰もが気づかないうちに描かれはじめているのである・・・。





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