第3話『初恋の人と似てる人』
第3話
『初恋の人と似てる人』
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「――で、昨日の騒ぎは君の仕業なのかい?」
病院での一件はなんとか収まった。それはとても解決したとは言えないが、彩乃には事情は後日話すと言って祐樹は女性を自分の部屋に連れて帰ることにした。病院を出ると昨日見た黒い車が待ちかまえていたのは言うまでもない。そしてそのまま下宿の部屋に来たのである。運良く下宿の入り口付近には人の姿はなく、変な噂が流れる心配がなかったのが祐樹にとってなにより安心できた。女性の服装以外は。
「もうっ、小夜子って呼んで。ダーリン」
女性は自分の名前を”鷺宮 小夜子”と名乗った。鷺宮と言えば世間一般では超お金持ちの財閥で有名である。今の当主は”鷺宮 重三”の娘であるともっぱらの噂。重三がはやくに亡くなり、その跡を継いだのがたった一人の娘である。だが、そのとき娘はまだ幼いのでほとんど実権を持つことができず、代わりに世話役であった人が娘が大人になるまで握っていた。
「だから俺は人違いだって」
「なにを言ってるの!だってあなたは広瀬祐樹でしょ?」
「同姓同名の他人だよ」
「妹は百合音ちゃんでしょ?」
「それも偶然だってば」
何度違うと言っても小夜子は信じなかった。祐樹が認めるまでこの部屋に住み着くとまで言い出す始末。ここで根負けできない祐樹は言い聞かせるように続ける。
「ダーリンは私のダーリンになるのは決定事項なの!」
「だからなんで?」
「……約束」
小夜子は小声で言った。小夜子には約束があった。それは小さい頃の約束だが、必ず叶えなければならいという決心を込めたものである。それだけは譲ることはできなかった。
「約束?」
「昔、ダーリンが私に言ってくれたのよ!『大きくなったらお嫁さんにしてあげる』って」
「人違いだろう?君とは今日初めてあったんだよ」
「違うわ!私とダーリンはずっと前にあっているのよ、覚えてないんですの?」
「ずっと……前…?」
祐樹の頭にかすかな記憶がよみがえる。
この独特なしゃべり方、お金持ちの令嬢――――!?
「もしかして……小夜ちゃん?」
祐樹の呟きに小夜子は満面の笑みを浮かべて囁く。
「そうだよ、ゆーくん」
「小夜ちゃんか……わからなかった」
唖然とした顔で祐樹は小夜子を見る。
あの思いでの人が目の前にいるなんて信じられなかった。それもこんな奇抜なファッション(?)で現れるなんてなおさらだ。でも、思い出したはいいが、俺は小夜ちゃんと結婚するなんて過去に言った覚えはないのだが。
祐樹はよぎる疑問を聞かずにはいられなかった。
「俺、昔にそんな約束したっけ?」
「覚えてないんですの?」
「全く記憶にないんだけどなぁ…」
「………」
不意に小夜子は黙り込んだ。俯きなにかを考えている様子である。それを見た祐樹は怪訝に思い、どうしたのか訪ねた。小夜子はなんでもないと言って小さく首を振る。
「それはさておき、私は正式にダーリンの妻となりましたのでよろしくお願いしますわね」
「だから俺は結婚できないって」
「……百合音ちゃんが心配だから?」
「………」
小夜子の質問に祐樹は無言でうなずいた。祐樹は小夜子から顔を背けると困ったように頭をかきだした。こんなときにも癖は出るものである。
「治療費は私が全額負担させていただきますので心配ございませんわよ」
「………」
「それだけでは不満ですか?」
「それで君は満足かい?」
「どういう意味ですの?」
「たとえそれで結婚したとしても君は納得できるかと言うこと。俺は百合音のためなら君とする事も考える。だが、それは君の財産目当てですることと同じ。それを承知で君は俺を選ぶのか?」
祐樹の言葉に小夜子は言葉を失った。だが、それも一瞬のことで小夜子はニッコリと微笑んだ。
「それでも私は構いませんわ。最初はどんな理由があっても、いずれダーリンを振り向かせる自信は私にはありますもの。なにも心配はございませんわよ」
小夜子の言葉は明らかに強がりだった。それは祐樹もわかっている。小夜子は今にでも泣きそうな顔で微笑みを向けるが、その笑顔が祐樹の心に突き刺さった。
「君とは結婚できない」
「………」
「やっと会えた小夜ちゃんを悲しませるようなことは俺にはできないよ」
「…ゆーくん」
我慢していた涙がこぼれる。そして堰を切ったようにポタポタと畳を濡らした。
泣き崩れる小夜子に祐樹はなにもできなかった。ただたたその姿を見つめるだけ。
「ダーリン、私をあなたの胸で泣かせなさい」
「……え?」
「泣かせて……ください」
「うん」
強気な小夜子が祐樹の胸に抱きつく。祐樹にできるのはこれだけだった。小夜子のしたようにさせてやることが唯一の気遣い。再会した少女は大人になっていた。それも信じられない姿で、結婚しようと迫ってきたのである。さすがの祐樹も圧倒されていたが、話すにつれて昔とそんなに変わらないことが心から嬉しかった。
昔はそんなに身長も変わらなかったのに、今ではこんなに差がついてしまっている。
こんな小さな女の子になっていたとは正直思ってもいなかった。あのとき俺を励ましてくれた彼女に淡い恋心を抱いているのだが、やはり彼女の気持ちに応えるわけにはいかない。
「ごめん」
祐樹は胸で泣き続ける小夜子に小さく謝った。
夜も更けてきた頃。
祐樹は自分の部屋で本を読みふけっていた。その隣にはベッドでぐっすりとお休み中の小夜子。
あのあと眠ってしまった小夜子を自分のベッドに寝かせると祐樹はなにをしていいのかわからず、小夜子が目を覚ますまで本を読むことにしたのである。そして時計が22時を指した頃。
「こんばんは、祐樹さん」
軽いノックのあと扉が開く。
祐樹がそちらに顔を向けるとそこには目が点になっている美奈子が立ち惚けていた。
「祐樹さん、その人は?」
「あ、えっと…」
どうにもいいわけ不可能な状態だった。ウェディングドレス姿の女性がベッドに寝ている――それだけでなにを言っても納得してくれるわけがなかった。いや、それ以前の問題かもしれない。
「まぁ、座って」
「は、はい」
美奈子は言われたように靴を脱ぎ、買い物袋を置くと座った。
「彼女は昔の知り合いでね、いきなり結婚してくれっていわれてさ…」
そこまで言って祐樹は頭をかいた。
「結婚するんですか?」
「いや、その気はないんだけどね」
祐樹はまた頭をかいた。
「美奈子ちゃんには言っておくよ。彼女は俺の初恋の人なんだ」
「……え?」
「だからって結婚するわけじゃないよ」
「そ、それはそうですよね」
美奈子はそう言うが動揺している。視線をきょろきょろ動かし、体が無意識にそわそわと動く。
「俺、どうしていいかわからなくって」
「………」
「本当のことを言うと美奈子ちゃんのことは好きだよ」
「ほんとうですか?」
「うん。でもそれは――」
祐樹がそこまで言いかけたとき、美奈子が押し倒すように祐樹に飛びついた。
「み、美奈子ちゃん?」
「祐樹さん」
美奈子は戸惑う祐樹の手を取って自分の胸にそっと当てた。
「私、こんなにドキドキしているんです」
「………」
「祐樹さんといると心臓が張り裂けそうなほど高鳴るんです」
顔を真っ赤に染めながら美奈子は体を前に屈める。自分の顔を祐樹の顔に近づけようとしたとき、かけていたメガネが落ちた。それを拾おうとする美奈子の手を祐樹が制止する。
「メガネをかけてない方が可愛いよ」
「ゆ、祐樹さん」
祐樹は美奈子の胸にある手を動かし服の中に潜り込ませた。そして直に美奈子の胸に触れる。
「あっ…!」
「美奈子ちゃん、いい?」
「……はい」
美奈子は戸惑いながらも幸せそうにうなずいた。
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