第4話『祐樹の涙』
第4話
『祐樹の涙』



次の日。
祐樹が目覚めると部屋には誰もいなかった。ただ、テーブルの上の朝食を除いては。
「なんだ?」
テーブルの上には小さな紙切れが一緒に置いてあった。それに気づいた祐樹は寝ぼけた頭をかきながら目を通す。それは美奈子からのメッセージだった。
「美奈子ちゃんからか……ん?」
祐樹はなにかを思い出した。
昨日、なにか大事なことがあったような?なんだったけな。それに畳に赤い跡がある、なんだこれ?
頭が回転しきらない祐樹は更に頭をかいた。
「いいや、顔でも洗おう」
いつものように洗面台に向かい冷たい水で顔を洗う。祐樹の一日はこれから始まる。
タオルで顔を拭き、テーブルの上にある朝食を食べるとそそくさと用意をして部屋を出た。

「祐樹さん、おはようございます!」
下宿の入り口にさしかかったとき声をかけられた。祐樹はその声に応えるように振り返る。
「あ、おはよう」
明るく返事をする祐樹を見た瞬間、美奈子は顔を真っ赤に染めた。その変化に祐樹は驚く。
「ね、熱でもあるの?」
「い、いえ。そうじゃないんです」
「大丈夫かい?」
「はい。それより朝食は食べてくれましたか?」
「ああ、美味しかったよ」
祐樹は思ったまま答えた。その返事に美奈子は嬉しそうに微笑む。
いつものように自然に振る舞う美奈子に祐樹はなにか不自然なことに気づいた。トレードマークのメガネをかけていないのと、どことなく歩きにくそうにしていることに気づいたのである。
「ケガでもしてるの?」
「え?」
「歩きにくそうにしてるけど?」
「そ、それは……祐樹さんが激しくしたからです…」
美奈子の言葉に祐樹は首を傾げた。
俺が激しくってなにをだ?昨日、美奈子ちゃんになにかしたっけ?
「……あ」
思い出した。今になって思い出すなんて俺はなんてバカなんだっ!
「美奈子ちゃん、昨日のことはその…」
「わ、私――嬉しかったです」
「………」
「祐樹さんが私を抱いてくれたことが嬉しくって…」
そこまで言って美奈子はポロポロと涙を零しはじめた。
「痛かったけど、嬉しくて眠れなかったくらいです」
「お、俺…」
「祐樹さんが可愛いって言ってくれたからメガネをとってみました。どうですか?」
「う、うん。可愛いよ」
祐樹の言葉に美奈子は弾けんばかりに喜ぶ。そして一歩進んだかと思うとなにかに躓いたらしく、こけそうになった。そこを素早く祐樹が抱き留める。
「大丈夫?」
「は、はい」
「目がよく見えないんじゃない?」
「はい。でも、祐樹さんのためですから…」
美奈子はそう言ってさりげなく顔を伸ばし、祐樹の唇に自分の唇を重ねた。
「……ん」
「み、美奈子ちゃん?」
「い、行って来ます」
照れくさそうにはにかむと美奈子は逃げるように去っていった。
「朝からお熱いね、祐樹くん」
突然の声に驚いた祐樹が振り返ると恭子の姿があった。
今日は朝からおどかされる日だと内心祐樹は毒づく。
「見てたんですか?」
「ええ。美奈子の想いを受け入れてくれたの?」
「えっと、その…」
祐樹は一瞬迷ったが、本当のことを言うことにした。
「ふーん、そうだったんだ」
「………」
「まぁ、祐樹くんも男だからね。それにしても美奈子にそんな度胸があるなんて知らなかったわ」
「俺、美奈子ちゃんになんて言ったらいいのか…」
うなだれる祐樹の頭を恭子は軽くこついた。
「本当のことを言うしかないでしょ?」
「……はい」
「美奈子だって大人なんだし、理想と現実の区別くらいついてるわよ」
「………」
「もし、祐樹くんが美奈子のことを想ってくれるのなら、私としては娘をもらってほしいと思っているの。だって祐樹くんは私にとっても息子みたいなものだからね」
「恭子さん」
「だから祐樹くんも自分の選んだ道を歩いてほしいの。2年しか経ってないけど、大家である前に私は祐樹くんの母であるつもりよ?」
恭子の言葉に目頭が熱くなった。だが、祐樹は零れてくるものを必死で我慢した。
まだ泣けない、俺にはやり遂げなければならないことが残っているのだ。
「泣きたいときは泣いてもいいのよ?男の子だからって恥ずかしがることはないの」
「今の俺はまだ泣けません。なにも終わってないですから」
「もうっ、強がっちゃって」
恭子は小さくため息をつくと自分の胸に祐樹を抱き寄せた。
「きょ、恭子さん?」
「ほんと、手間のかかる息子だわ。こんな強情な子だとは思わなかった」
「すみません」
呟くように謝る祐樹の頭を恭子はあやすように撫でる。
そのあまりにも懐かしい感覚にさすがの祐樹も堪えることができなかった。
「ぅぅ……すみません、恭子さん」
「いいのよ」
「俺、美奈子ちゃんのこともどうしていいかわからない。百合音のことも、そして彩乃さんの気持ちもどうしていいかわからない。小夜ちゃんまで現れて…」
「小夜ちゃんって前に言っていた思いでの人?」
「はい。昨日、再会したんです」
「そっか。祐樹くんの初恋の人か――いっぺんに告白されて頭いっぱいだね?」
「うん」
祐樹の心を見透かしたように恭子は答えていく。そんな恭子に祐樹は母親の面影を重ねた。
「どうしたらいいのかな、母さん」
「お母さんは祐樹くんの思ったとおりにすればいいと思うよ。祐樹くんが一番好きな人を選んで誰よりもいっぱい幸せになってほしい。祐樹くんにはその資格があるから」
「そうかな?」
「そうなんだよ」
「――ありがとう」
祐樹は最後にお礼を言って恭子から離れた。その顔はなにか吹っ切れたような晴れ晴れとしたものだった。祐樹の表情に納得した恭子は自分の目尻の涙を拭う。
「俺、そろそろ大学に行きます」
「はいよっ、いってらっしゃい」
笑顔で見送ってくれる恭子の姿に一瞬祐樹は戸惑った。しかし迷うことなく返事をする。
「行って来ます、母さん」
照れくさそうに言い放つ祐樹の言葉に恭子は心が軽くなった気がした。




トップへ戻る 第5話へ