第6話『彩乃の勇気』
第6話
『彩乃の勇気』
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祐樹はいつものようにバイトが終わると病院に向かった。
「百合音、入るぞ」
2回ほどノックをして入るとそこには楽しそうに話をする百合音と彩乃の姿があった。
ふたりが祐樹に気づくと会話を止め振り返る。祐樹と彩乃は目が合うとお互い黙り込んで目をそらす始末。それを見た百合音は空気を変えるために大きな声で祐樹に抱きついた。
「おにいちゃ〜ん!」
「うわっ」
「百合音、寂しかったよぉ〜」
「ごめんごめん。ちょっとバイトが忙しくてさ」
祐樹は困ったような顔しながら頭をかいた。
「罰として今日は泊まってよね」
「わかったよ。お姫様」
「やったぁー」
無邪気に喜びしがみつく百合音の姿に室内の空気が和らいでいった。祐樹と彩乃も自然と目を合わし、お互いクスクスと笑いはじめた。
「祐樹さん、私は失礼します」
そう言って病室を出ようとする彩乃に祐樹は声をかける。
「彩乃さんっ!俺――」
彩乃はそれを遮るように祐樹の唇に人差し指を当てた。
「言わなくてもいいです」
それだけを残して彩乃は病室を出ていった。
ふたりのやりとりを間近で見ていた百合音は無言で祐樹の足を踏みつけた。
「いてっ!」
「お兄ちゃんのばかっ!彩乃さんを泣かしたらダメじゃないのっ」
「ゆ、百合音…」
「どうして答えてあげないの?なにも言ってくれないって彩乃さんは不安がってたよ?」
百合音に言葉に祐樹はなにも言えなかった。
「私のことは気にしないで自分に素直になってよ」
「………」
「私だけが幸せになっても、ちっとも嬉しくなよ」
「……怖いんだ」
百合音の耳に意外な言葉が響いた。
お兄ちゃんが怖いって――あの強いお兄ちゃんが?
「これ以上、大切な人を失うことが怖いんだ」
「………」
「本当のことを言うとお前を失うんじゃないかって、毎日怖いんだよ」
祐樹の体が小刻みに震えた。それは百合音にも伝わってきた。兄の気持ち、兄の恐怖。百合音は妹なだけに兄の感情が手に取るようにわかるのだ。
「それで人が好きになれないの?」
「……うん」
「ばかだね、お兄ちゃんは。確かに人を好きになるって辛いこともあるけど、同じくらい幸せなこともあるんだよ?私はそれを知っている。私はお兄ちゃんが世界で一番好きだから」
「百合音。でも、それは兄妹として――」
「違うの。兄妹なんて関係ないんだ……純粋に好きなの。お兄ちゃんが望むなら結婚してもいいくらい好き。でも私たちは兄妹だからできないんだよね?それはわかってるよ。お兄ちゃんが誰を好きになっても誰と結婚しても私がお兄ちゃんを一番愛してるって言うことは誰にも負けないよ」
百合音の言葉が祐樹の心に響く。祐樹も妹を愛しているという事実は自分でも認めているので、これ以上の喜びはなかった。その言葉だけで今までの成果が報われたような気がした。
「だから彩乃さんの気持ちに応えてあげて?」
「そ、それは…」
「彩乃さんってとってもいい人なの。それは私が保証するから」
「それは俺だってわかってる。でも俺には…」
祐樹の脳裏に美奈子が横切る。勢いとはいえ美奈子の想いに応えた以上はその責任を負わなければならない。そんな後ろめたさが祐樹にあった。
「俺、責任をとらないといけないから」
「責任って――お兄ちゃん?」
「勢いとはいえ、抱いちゃった女の子がいるんだ。だから…」
「………」
「その子、百合音に似てて――それで」
百合音の平手が祐樹の頬をとらえた。
「お兄ちゃんのばかっ!そんないいわけ聞きたくないよっ」
「………」
「私に似てたからって――それじゃぁ、その女の子が可哀相だよっ!」
「俺だってバカなことをしたと思ってる。でも、もうしてしまったんだよっ!」
祐樹の言葉に病室は沈黙に包まれた。兄に対して妹はなにも言えなかった。兄もまた妹にかける言葉が見つからず黙るしかなかった。
「………」
「………」
気まずい空気が流れ続けるかのように見えたが、それを破ったのは百合音だった。
「お兄ちゃんの気持ちも知らずにひっぱたいてごめんなさい」
「いや、俺も悪いんだ」
「その子のこと…」
「え?」
「その子のこと、好きなの?」
「…わからない。正直、百合音に似ていたから惹かれた部分もある。だけどそれだけで抱いたつもりはない」
「そっか」
その言葉に百合音は少し胸をなで下ろした。理由は何であれ兄に彼女ができれば少しは考え方が変わるだろうと妹は思ったのである。
「だったらね、その子のこと大切にしてあげて」
「…うん」
「私からはそれだけ」
百合音はそう言って祐樹から離れるとベッドに戻った。
祐樹は何かを思いだし百合音に声をかける。
「百合音、昔会った小夜子って覚えているか?」
「さよこ?」
「ああ、俺達が小さい頃公園でよく遊んでいたんだ」
「…何となく覚えてる。お兄ちゃんの初恋の人だったよね?」
「ああ、そうだ。その彼女と再会したんだ」
「………」
百合音は言葉がなかった。次から次へとどうして問題がでてくるのだろう。
気分はもうお腹いっぱいという状態だった。
「私はなにも言わないよ」
「百合音?」
「お兄ちゃんが幸せになってくれれば私は満足だから」
それだけ言って百合音はベッドの中に潜り込んでしまった。それを見た祐樹はどうしていいかわからずウロウロしていると百合音はこう呟いた。
「屋上でも行って風に当たればスッキリするよ」
「そうだな」
百合音の言葉に頷き祐樹は病室を出た。
重たいドアを開けるとそこは誰もいない、雲一つない夜空が広がっていた。
「……いい風だ」
屋上に出た祐樹はフェンス越しに町を眺めた。
「どうしたらいいんだろう」
「祐樹さんの思うようにしたらいいんです」
突然に声に振り向くとそこには彩乃の姿があった。意外な来客に祐樹はなにを言っていいのかわからなかった。呆然と彩乃に目を向けるしかなかった。
「ここから見える夜景が好きなんです」
彩乃はそう言うとフェンスまで歩み寄り手をかけた。祐樹はその横で空を見上げながらフェンスにもたれる。
「私、祐樹さんのことが好きです」
「………」
「でも、答えはいいです。わかっていますから」
「ごめん」
ふたりは顔を合わすことなく会話を続ける。
「私の話、聞いてくれますか?」
「俺でよければ」
「はい」
雰囲気とは裏腹に夜空には星々が煌めいている。ふたりの間に吹く風はなぜか冷たかった。
「実は私、子供が産めない体なんです」
「…!」
「高校生の頃、付き合っていた人がいたんです。私はその人が大好きで何一つ疑わなかったんです。だけど彼は酷い人で、私に飽きたら友人に売ったんです」
「………」
祐樹はこれ以上聞きたくなくなった。続きがわかっているだけに耳を塞ぎたくなった。だが、彩乃は淡々と続きを語った。
「私ってドジだからそんなこともわからず、まんまと騙されて何人もの人たちに……ぐすっ、犯されて――」
「いいからっ」
我慢できなくなった祐樹は彩乃を抱きしめた。
「祐樹……さん…」
「もう、言わなくていいから」
「私――さんざん汚されて」
祐樹は抱きしめる手に力を込めた。自分に好意を寄せてくれる人の辛い過去を聞く気にはなれなかった。
「祐樹さん、苦しいです」
「俺、こんなことしかしてやれないけど――」
「………」
「うまく言えないけど…」
「ありがとう、祐樹さん」
ゆっくりと彩乃は祐樹から離れた。その顔は涙を流しながらも嬉しそうに微笑んでいた。
「彩乃さん」
「祐樹さんは優しすぎます。せっかく諦めようと決めたのに決心が鈍っちゃいそう」
「ごめん」
「それが祐樹さんの良いところなんですけどね。他の人にもそうだと嫉妬しちゃいそうです」
彩乃は目尻の涙を拭うと祐樹の首に手を回した。
「あ、彩乃さん?」
「お願いします。キスしてください――それですべて諦めますから」
「………」
「こんな私ですけど、あなたとの思い出をください」
目を閉じる彩乃に祐樹は無言で唇を重ねた。彩乃の唇は震えており、年上のはずの彩乃が祐樹にはとても幼く感じた。そしてゆっくりとふたりの顔が離れる。
「優しいキス。こんなの初めてです」
「………」
「これでもう思い残すことはないです」
「そんな悲しいことは言わないでよ。彩乃さんにはまだまだ百合音の友達でいてほしいんだ」
「わ、私なんかでいいんですか?」
「彩乃さんじゃなければ百合音が納得しないよ…」
「祐樹さんっ!大好きっ!!」
彩乃がはしゃいだためにバランスを崩した祐樹は倒れることになった。それにつられるように彩乃も祐樹の上に覆い被さった。
「いてて」
「ごめんなさい」
「いや、彩乃さんにケガがなければいいよ」
こんなときに不謹慎なのだが、彩乃の大きめな胸が当たるので祐樹は反応してしまった。
や、やばい!これじゃぁ、彩乃さんにバレちゃうよ。
祐樹は誤魔化すように動くのだが時すでに遅し。
「ゆ、祐樹さん?これって…」
「その、これは…」
「嬉しい!こんな私でも感じてくれるんだ」
笑みを浮かべると彩乃は祐樹の股間に手を下ろしていく。彩乃の細い手が触れた瞬間ビクッと祐樹のが脈打った。
「や、止めてください!」
「私は気にしないから。責任も感じなくていいから」
「な、なにを言って…?」
「ごめんね。立ち聞きしちゃったの」
「………」
「私とのことはただの遊びだと思ってくれたらいい。それとも汚れた私は抱きたくないかな?」
祐樹は彩乃の口を塞ぐように顔を引き寄せ半ば無理矢理キスをした。
「悲しいこと言わないでくれ。彩乃さんはとっても魅力的だよ」
「祐樹さん…」
「俺、彩乃さんを抱きたい。いいかな?」
「!――はいっ」
そしてふたりは今までよりずっと長いキスをした。
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