第7話『彩乃の決意』
第7話
『彩乃の決意』



「これでよしっ」
彩乃は百合音にパジャマを着せると嬉しそうに微笑んだ。
「………」
「どうしたの?」
百合音はなにも答えなかった。彩乃が祐樹との間にあったことを全て隠さず話してから百合音は一言も喋らなかった。なにか考え込むように俯くだけで目を合わすことさえなかった。
「百合音ちゃん?」
「彩乃さんはそれでいいの?」
やっと出た言葉はそれだった。その言葉に彩乃は何事もないように言い返す。
「うん。これは私が自分で決めたことだからね」
「で、でもっ…!」
彩乃は言葉を遮るように百合音の唇に人差し指を当てた。
「言ったでしょ?もし、祐樹さんが私を選んでくれても子供が産めないんだもの。そんな辛い思いは誰にもさせたくないしね」
「それで本当に幸せなの?」
百合音は本気で怒りだした。それでも彩乃は優しそうに微笑みを向ける。
「前にも言ったけど、私の恋は終わったの」
「彩乃さんはまだ若いじゃないっ」
「そうじゃないの。私はあの出来事以来、男の人を好きになるなんて思ってもいなかった。こんな体になってしまったし、独りで生きていこうと決めた。でも祐樹さんに会ってしまった。最初は気持ちを閉じこめようって思ってた――だけど無理だった。言わずにはいられなかった」
「……彩乃さん」
「毎日が楽しかった。こんなに人を好きになるなんて思ってもみなかったから心が高鳴った。彼に会うたびに想いがあふれそうになった。こうなったら決心なんて無くなってしたの、だから今回で最後にしようって再び決心したの。祐樹さんみたいな優しい人はどこにでもいるわけじゃなしね」
「そんなことないと思うよ?」
「そんなことあるの。ここはいろんな人が見えるからね」
そこまで言って彩乃は器用にウィンクをした。百合音の心は複雑だった。
「お兄ちゃんはどうして彩乃さんを選ばなかったの?」
「どうしてだろうね?でも、祐樹さんの選択は正しかった」
「どうしてっ?なんで正しいの?」
「それは私を選んでも祐樹さんは幸せになれないからよ」
「わからないよっ!私にはそんなのわかんないっ」
百合音は叫ぶように言葉をあげる。まだ幼い百合音には大人の世界と現実、複雑な感情が理解できなかった。それ故に彩乃の言葉に納得できなかった。
「百合音ちゃんが大人になればわかるよ」
「そんなの――いやだよ」
「ありがとう。でも私は大丈夫だから」
「よくない、よくないよ…」
ポロポロと涙を流す百合音を彩乃は優しく抱きしめた。
「百合音ちゃんは優しいね」
「ぐすっ……ぅぅ」
「私も百合音ちゃんのような子供がほしかったな」
「……ぅぅ」
なかなか泣きやまない百合音の背中を何度も優しく叩く。それは母親が子供をあやすときにする行動である。彩乃にとって百合音は娘も同然だった。
「祐樹さんが私を抱いてくれたのは同情だったかもしれない。私のことを哀れんで抱いてくれたんだと思う。それでもいいの、理由はなんだってよかった。それこそ気まぐれや遊びでも私は喜んで抱かれたと思う。バカと思うかもしれないけど私が祐樹さんを好きだからそれだけで満足なんだろうね」
「ぅぅ……ぐすっ」
「これでよかったの。祐樹さんにはたくさんの幸せを受け取る権利があるから」
「ぐすっ――彩乃さんだって」
「そうかな?」
「そうだよっ」
百合音は悪戯っぽく彩乃の胸にぐりぐりと顔を押しつけた。その行動に彩乃はくすぐったそうに笑う。
「この悪戯っ子」
「えへへ」
「私も――幸せになれるかな?」
「うん。私が保証する」
「じゃぁ、してもらおっかな?百合音ちゃんに」
「わたし?」
キョトンとした目で百合音は彩乃を見上げる。
「私の子供になってくれる?」
彩乃の言葉に百合音は目をパチクリした。無言で百合音を見つめる彩乃、こちらも無言で見上げる百合音。それはしばらく続いた。
「だめ?」
その言葉に百合音はハッと現実に戻る。その顔が見る見るうちに笑顔に変わっていった。
「ううんっ!なるなる〜!!」
「百合音ちゃん?」
「なりたいっ!彩乃さんの子供になりた〜い!」
「あ、ありがとう――」
思いがけない答えに彩乃の目から涙がこぼれた。小さな滴は百合音の顔に落ちていく。
「ど、どうして泣くの?」
「ごめんなさい。ぐすっ……あまりにも嬉くって…」
「泣き虫さんは私のお母さんにさせてあげなーい」
「もう、泣かないから…」
口ではそう言うが、彩乃の目から涙が止まることはなかった。それこそさっきより一層多くなったと言える。そんな彩乃に百合音は笑顔をこぼさずにはいられなかった。
「泣かないからね、百合音ちゃん」
「もうっ、百合音って呼んで。お母さん」
百合音の言葉に彩乃の心は満たされていった。

「問題はお兄ちゃんね」
「そうだね」
あれから時間が経ち、日もすっかり暮れた頃。百合音と彩乃は首を捻りあっていた。
「お兄ちゃんは認めてくれるかな?」
「祐樹さんは優しいけど、厳しいから…」
「私もそう思う。厳しいってより固いって感じ」
ふたりは腕を組みながら考え込む。なにか良いアイデアは浮かばないかと試行錯誤するが――
「降参だね」
「私も」
無理だった。責任感の強い祐樹を言いくるめることは出来ないことは承知の上だった。考えるだけ無駄だと悟ったふたりは途方に暮れた。
「やっぱり、気持ちをぶつけるしかないね?」
「うん。それしかないと思う」
「祐樹さんが来たら言ってみる。『百合音ちゃんをください』って」
「――それ違う」
彩乃の言葉に百合音が見事なツッコミを入れていると、不意にドアが叩かれた。
「百合音、入るぞ」
言葉と同時にドアが開かれる。そこには祐樹の姿があった。
その姿を見た瞬間、彩乃は真剣な顔で近づいていった。
「祐樹さん」
「あ、彩乃さん。昨日はその…」
「あなたに大切な話があります」
「え?」
「聞いてくれますか?」
初めてみる真剣な顔に祐樹は戸惑った。その瞳は不安に満ちていて彩乃には不似合いだと祐樹は感じた。
「そんな暗い顔を見せられたら断れないな」
「祐樹さん?」
「百合音のこと、よろしく頼みます」
そう言って祐樹は微笑んだ。彩乃と百合音は顔を合わせるとVサインをしあった。
「ありがとうっ!お兄ちゃん」
「俺の望みは百合音が幸せになること、それだけだよ」
「えへへ」
「だから祐樹さん大好きっ!!」
嬉しそうに祐樹に抱きつき、キスをする彩乃の姿に百合音は顔を赤く染めた。




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