プロローグ『男性嫌いに一目惚れ?』
プロローグ
『男性嫌いに一目惚れ?』
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「こんにちはー」
大学の講座が終了した俺は叔母が経営するペットショップ『九十九ちゃん』に顔を出した。
「あら?耕ちゃんが来てくれるなんて、明日は雨かしら?」
「どういう意味だよっ」
耕一を歓迎(?)して迎えに出たのは店主である深雪。
こぢんまりした店でお客の入りは少なく、ほとんど毎日が暇同然である。
それで経営が成り立つのか?――と、疑問を抱く耕一だが聞くだけ無駄だった。
「お金儲けなんて二の次よ!」
なにを言っても最後はこの言葉で終わるのだ。これは見ちゃいられないと思った耕一は日ごろの感謝を込めて手伝いに行くのだが、状況が状況なので気が向いたときにだけだった。
「まだ店があってよかったよ。叔母さんの経営はナンセンスだからね」
「またそんな横文字を使ってっ!楽しく商売が出来れば問題ないんですからねー!」
「はいはい、おっしゃるとおりでございます」
「それとねっ!“叔母さん”じゃなくて“お母さん”って呼んでって言ってるでしょ」
叔母さんは俺に会うたびにそれを言う。
確かにそう呼ばない俺が悪いのだが、どうしても照れてしまって呼びずらいのだ。俺を勝手に養子にしたときは戸惑ったけど、後になって考えればそのことはすごく嬉しかった。家族が無くなると覚悟していただけに拍子抜けであったのは言うまでもない。
「それで、今日はどうしたの?」
「どうって?」
「前にふられた彼女のことが忘れられないの?それとも誰かに一目惚れでもした?」
「な、何でそんなこと聞くんだよ?」
「私はこれでも耕ちゃんの母よ?耕ちゃんはそんなときだけ店に顔を出すからね」
「た、たまには関係ないときだってあるだろう!?」
「たまにはね」
深雪の棘のある言い方に耕一は言い返したかったができなかった。ほとんどが事実だからである。
「それはさておき、明日から耕ちゃんが顔を出さなくてもいいからね?」
「ついに店をたたむのか?」
「違うわよ。明日からバイトがくるのよ」
俺は自分の耳を疑った。このいつ潰れてもおかしくない店にバイトが来る。店の名前だけ聞くと飲み屋のような店にである。バイトの子は給料がもらえるのか?――様々な疑問が俺の脳裏を横切った。
「気でも狂ったか?」
「私は正気よ!まったく失礼な息子だわ」
「……で、その奇特な人はどんな人だ?」
「気になる言い方だけど答えてあげるわ。私もどうしようか迷ったんだけど、雇うことにしたのよ」
「だからどんな人だ?」
「可愛いんだけどね、ちょっとオドオドしていて挙動不審な感じかな?」
おいおい、そんな奴を雇って大丈夫なのか、この店は?
――ん?可愛い?
「可愛いって女の子なのか?」
「そうだけど」
「何歳?」
「8歳」
「若すぎるよっ!――って、んなわけないだろうっ!!」
「ふふふっ、18歳よ。大学1年生なんだって」
「か、彼氏とかいる?」
「そんな野暮ったいことは面接では聞かないでしょ?そんなことは本人から聞いてちょうだい」
叔母の意見はごもっともである。それより耕一はもっと気になることがあった。
「どんな感じの子?美人タイプ?」
「そうねぇ〜、昔の私に似てたかな?今でも綺麗だけど、若い頃は誰もがうらやむ美貌の――」
この話は長くなるのでカットする。叔母の言葉はさておき、今でも若く見られる叔母はとても生き生きして見える。本人は綺麗と言うが、周りには(もちろん俺も)可愛いと評判で通っている。これでも一人娘がいるというのだから驚きは隠せない。6歳の女の子で叔母に似て可愛らしい子である。俺にとっても一応、妹に当たるので顔を合わせるのだが、これがまた強烈なインパクトであるのは間違いない。まぁ、そのことは後で機会があれば語るとしよう(できれば本人を交えて)。
「それでね?私に言い寄る男が後を絶たないの――」
どうやら叔母の話で今日はお開きのようだ。
次の日。
俺は叔母の言葉を確かめるため、大学が終わると店に顔を出した。
「こんにちはー!」
「あら?耕ちゃん」
「どう?繁盛してる?」
「ぼちぼちね」
叔母の言う『ぼちぼち』は世間で言う『さっぱり』の意味である。この店は世間と見えない壁が立っていることに叔母は気づいていない。俺も気づかないフリをしている。
「昨日言ってた子は?」
「あの子?あの子なら奥で掃除をしてるわよ」
「奥?」
この店の『奥』には嫌な思い出があった。ここはペットショップだから犬がいるのだが、この店の奥には大きな犬がいる。種類はよく知らないが、大きな図体で立ち上がったら俺ぐらいはある。昔、そのことを知らなかった俺は何気なく奥に行くとそれは起こった。突然大きな声で吠えられたのだ。それはまさに大地を揺るがすほどの(大げさ)ものであった。知らない人間を見ると吠えるのらしいが、これが懐かれると次の恐怖が訪れる。それはいずれ――
「バウっ!!」
「きゃっ!?」
大きな犬の鳴き声と可愛らしい女の子の悲鳴が聞こえた。
「遅かったか…」
「耕ちゃん。行って来て…」
「ちょ、叔母さんっ!」
怒鳴りながら叔母を見た俺は転けそうになった。叔母はテーブルの上にあるテレビを見ながら煎餅をボリボリと豪快に頬張っていた。その姿に昔の面影はない。
「わかったよ」
「よろしくね。あっはっはーっ!」
豪快に笑う叔母の姿に頭が痛くなった。
「バウバウっ!」
犬がさらに吠える。いくら鎖につながれているとはいえ、その巨体から吐き出される咆哮だけで女の子は尻餅をついてしまい、腰が抜けてしまった。
「あっ、ご、ごめんなさい…」
恐怖のためか涙を零しながら謝るが、犬にはそんなことはわからなかった。
「こらっ!知らない人を見ても吠えるなって言ってるだろう?」
これもまた無理なことである。犬に人間の言葉が理解できることはない。だが、犬は耕一の言葉に黙ってしまった。なぜなら、この犬は耕一に懐いているからだ。
「大丈夫?」
「あ……ご……え?」
尻餅をついて泣いている女の子の前に耕一はのぞき込むように屈み込んだ。
「やっぱ可愛いね」
「………?」
「あ、いや――大丈夫かい?」
そう言って耕一はポケットからハンカチを取り出すと女の子の涙を優しく拭った。
これは耕一の口説き術ではなく、優しさが起こさせる行動である。こういったことが自然とできる彼はモテなくはないのだが、女を見る目が無かった。
「どう?おさまった?」
「あ――きゃっ!」
ふと我に返った女の子に耕一は軽く飛ばされた。不意のことだったので耕一は後ろに倒れ込んでしまった。これから起こることもまさに不意なのである。
「バウッ!」
「ぎゃっー!!」
大きな犬の前に倒れてしまった耕一は悲鳴を上げた。これが耕一のもうひとつの恐怖である。この犬に懐かれた人は手をかまれるという洗礼を受けるのである。かつて深雪もその洗礼を受けて――いや、これ以上は語るまい。
「バウッ!バウッ!」
「痛いって!離せぇー!!」
「バウッ!」
「いでででででででぇ!」
犬にとっては愛情表現であっても人間の耕一にとっては地獄でしかなかった。
「わかったから離せって」
「バウッ!」
「こ、今度サンポに連れて行ってやるからなっ?」
「バウー」
耕一の言葉を理解したように犬は手から離れていった。自分の手をさする耕一の顔は苦痛に引きつっており、その手はキズだらけの血だらけになってしまった。
「相変わらず手加減しないんだからな」
「………」
「あ、君も大丈夫?」
まだ腰が抜けたまま、今の光景を唖然とした瞳で見ていた女の子。
耕一はさっきのように近づいた。
「驚いたでしょ?あの犬ってああなんだ」
「あ……」
「腰が抜けちゃった?手を貸そうか?」
女の子の返事も聞かずに耕一は手を取って立ち上がらせた。
「ここはいろんな意味で危険だから、あんまり近寄らないようにね」
「……はい」
「さて、俺は薬でも塗ってくるか」
「………」
「叔母さーん!クスリーー!!」
立ち去る耕一の姿を女の子は見送るしかできなかった。
本当は謝らなければならない、お礼を言わなければならない――わかっていたけど言えなかった。
彼女は怖かった。男性を目の前にすると怯えるほどである。耕一を前にしてもそうなのだが、それはどこか今までとは違っていたことに彼女自身は気づいていなかった。
「叔母さんっ、薬!」
「あらあら、ケガするなんてドジな子ね〜」
「誰のせいだよっ!」
「あら?せっかっくお近づきになれるチャンスを作ってあげた母親を責めるの?」
「そ、それは――」
本当のことだけに言い返せない。
耕一は悔しそうな顔をしたが、深雪は嬉しそうに微笑みながら薬箱を取り出すと、問答無用に耕一の手に消毒液をぶちまけた。
「ぎゃぁぁー!!」
再び耕一の悲鳴が店内に響いた。
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