第4話『ふぁーすとすまいる』
第4話
『ふぁーすとすまいる』
-
「耕ちゃん?あの子なら暫くは来ないんじゃないかな〜?」
バイトの休憩時間を利用して静子は耕一のことを聞いた。すると深雪から帰ってきた答えはそれだった。
「バイトで遅くなるって言ってたから」
「そ、そうですか…」
静子はしゅんと項垂れた。その姿に深雪がニヤリと笑う。
「耕ちゃんに会えなくて寂しい?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど……すこし」
「少し……なに?」
深雪の言葉に静子はしどろもどろ答える。
「さ、寂しくはないんですけど……か、顔が見たいなって…その…」
「耕ちゃんに惚れた?」
「わ、わかりません。でも、耕一さんの前にいると胸がドキドキして止まらないんです」
「それを世間では“恋”って言うのよ」
静子はどこか納得したように耳を傾けた。
私が恋?――知らなかった、恋って楽しいだけじゃなくて苦しいこともあるのね。
「恋って大変ですね?」
「そうね。でも、いろんな事を経験して人は成長していくのよ」
真剣な眼差しで静子は頷いた。人は様々なことを経験して大人になる――それは静子も両親から何度も聞いたことであった。それを今、実感した。
「耕一さんは優しいから…」
「確かに耕ちゃんは優しいね。それが長所でもあり短所でもあるけど」
「はい。誰にでも優しいので、たまに胸が苦しくなります――どうしてですか?」
「その答えは静子ちゃんが知ってるでしょう?」
「わ、私…?」
深雪の言葉に静子は自分の胸に手を当てる。耕一のことを考えるたびに鼓動が高鳴ること以外はなにもわからなかった。
「よくわからないです…」
「焦らなくても大丈夫よ。いずれわかるわ」
耕一と静子のデートから数日。
久々に耕一がペットショップに顔を出した。
「こんにちはー!」
「久しぶり、耕ちゃん」
耕一の姿を見た深雪は嬉しそうに微笑んだ。その眼差しは愛情そのものである。
「遅くなってごめん。バイトが忙しくて…」
「別に来てくれなんて頼んでないわよ?」
「酷いな〜!せっかく息子が会いに来たのにっ」
「そのことは嬉しいわ。でも、私にじゃなくて静子ちゃんにでしょ?」
深雪の鋭いツッコミに耕一は苦笑いを零した。
まったく、叔母さんにはかなわないな。隠し事なんてできないよ。
「残念だけど、静子ちゃんならさっき帰ったわよ」
「入れ違いだったのか…、残念」
残念がる耕一に深雪が非難の声を上げる。
「私じゃ満足できないなんて酷い人っ」
「俺達は親子だろっ!?」
「叔母と甥じゃない?それに年だって10しか離れてないんだもんっ」
年に似合わず可愛く言う深雪に耕一はゲッソリした。
「叔母さん、聞いてほしいことがあるんだけど」
「改まっちゃって、なーに?」
さっきまでのやりとりが嘘のようにふたりとも少し真剣な顔になる。
「えっと――あのさ」
「静子ちゃんのことでしょう?」
「…うん」
耕一は小さく頷いた。深雪は空気を読んだように続ける。
「静子ちゃんが好きで好きで仕方ないんでしょう?違う?」
「…ふぅ。叔母さんには勝てないよ。俺自身、こんなに気持ちになったことなくて、ちょっと戸惑っているんだ」
「戸惑う?どうして?」
深雪は不思議そうな顔で問い返した。
「今まで人を好きになったことはあるけど、静子さんは違うんだよ」
「違うって――どんな風に?」
「なんて言うか、時々、胸が苦しくなるんだよ。今までは恋愛して楽しいとばかり感じてたけど、静子さんの顔を見ると、たまに辛くなるんだ」
「……そう」
耕一の言葉に深雪は納得した。過去に同じような経験をした深雪にはその意味がよくわかっていた。
「どうして笑ってくれないんだろうってね。いつも自分が悪いと思っているんだよ、静子さんは。そんな彼女を見てると助けてあげたくなるんだ。底から支えてあげたいんだよ」
「彼女が崩れないように?」
「うん。このままだと静子さんはダメになってしまうよっ」
「彼女にとって余計なお世話でも?」
耕一はその言葉に一瞬ひるんだ。だが、強い意志がそれを返した。
「それでも構わない。俺は彼女を支えてあげたいんだ。彼女がそれを望まなくても、俺は陰からでも支えるっ」
「だったら…」
「えっ?」
意表をつかれ、驚いた耕一。深雪から出た言葉は意外な一言だった。
「言ってあげなさい。彼女に自分の気持ちを」
「叔母さん」
「今ならまだ間に合うわ。それに最近、痴漢が出るって噂なのよ」
「ま、まじ?」
「マジ」
深雪が頷くと同時に耕一は店を飛び出そうとした。それを言葉が追いかける。
「静子ちゃんの家は公園を越えた先だからねー!」
「わかった!」
今日も耕一さんは来なかったな…。
暗い夜道――静子は声にならない声で呟いた。ここ最近、耕一が店に顔を出さないから静子はすっかり元気がなくなってしまっていた。それは静子も実感していた。なにをしても頭には耕一のことばかり浮かび、気がつけば自分の手を触っていた。あのとき触れた感触を確かめるように無意識に求めるのである。
「明日こそ会えるかな?」
いつの間にか声に出ていた。それに気づいた静子は恥ずかしそうに口に手を当てる。
だ、誰も聞いてないよね?
そしてキョロキョロと視線を巡らすと、急に視界に人が紛れ込んできた。
「きゃっ!?」
静子の目の前に現れたのは、くたびれたような泥酔中年の男性だった。その男性が急に静子の手を掴む。あまりに突然のことに静子はぼんやりしていたが、掴まれたのが男性だとわかると自然に体が震えた。
「は、離してくださいっ!」
「おじさんとは嫌なの?そうなんだぁ〜」
「い、いやっ!助けてっ――耕一さんっ」
助けを求める静子の口から無意識に名前が飛び出した。そして――
「スパ○ラルニー!!!!」
正義のヒーローよろしく、静子の前に現れた耕一。そしてそのまま中年男性にケリをかました。
ニーなのに膝じゃないのはご愛敬。
「静子さんになにするんだー!このやろー!」
蹴られ、地面に顔面から倒れ込んだ男を耕一は無理矢理起こす。その顔は見覚えがあった。
「あ?一階の佐藤さんじゃないかっ!?」
佐藤と呼ばれた男は少し酔いが醒めたのか、耕一の顔を見て驚いた。
「耕一くんじゃないかっ!どうしたんだ?」
「それはこっちのセリフだよっ!酔って女の子を捕まえようとするなんて、佐藤さんらしくないよ」
「俺、そんなことしたの?それは悪かったね、じゃっ」
それだけ言って佐藤はフラフラしながら夜の道に消えていった。その姿を呆れた顔で耕一は見送る。
「耕一さん、どうしてここに?」
「え?叔母さんにコツかれちゃってさ、最近、痴漢が出るからって」
「し、心配してくれたんですか?」
静子の言葉に耕一は照れながら頷いた。静子の顔に喜びが戻る。
「さっきのオッサンになにかされなかった?変なもの見せられなかった?」
「い、いえ。なにもなかったです」
「それはよかった。静子さんも見るなら中年よりは若い方がいいよね?」
「な、なにがですか?」
当惑する静子をよそに耕一は自分の股間に手をもっていった。
「きゃっ!なにを…?」
静子が悲鳴を上げる中、耕一の手がチャックに触れたとき――
「乙女の味方パーンチ!」
耕一の顔面に鋭い拳がささった。
「叔母さん、冗談だってば」
「冗談にもほどがあるわよっ!」
「いいじゃんか、減るもんじゃないし」
「ほぉ〜、耕ちゃんの羞恥心は減らないほどあるのかしら?それとも無いから減らないのかしら?」
不意に現れた深雪とコントを広げる耕一。そんなふたりを見て意外な人物が声を上げた。
「ふふふっ、あははは!」
いつも俯きがちな静子が声を上げながら笑い出した。
耕一と深雪は言い合うのを止め、顔を合わせた。お互いの言いたいことを納得したように頷く。
「じゃあね、耕ちゃん」
深雪はふたりに気を遣ったのか、耕一にだけわかるように言ってから去っていった。
叔母さん、なにかを言いに追ってきたと思うんだけど――まぁ、いっか。
「ふふふっ」
「静子さん」
「ふふふっ――は、はい?」
「初めて笑ってくれたね」
耕一に言われて静子は自分が笑っていることに気づく。顔を赤く染め、恥ずかしそうに口に手を当てた。
「俺、君の笑顔がみたいと思った。君はいつも寂しそうにしてたから」
「………」
「でも、もういいんだ。君が笑ってくれたから、それだけで満足だよ」
「耕一さん?」
静子は耕一の言い方になにか違和感を感じた。それはいつも語りかけてくれるのとは確実に違った。
「静子さんの気持ちも考えずにごめん。俺って惚れっぽいから相手のことに気が回らなくて、いつも押しつけちゃうんだ。自分の気持ちもお節介もね」
「……あ、あのっ」
「じゃぁ、元気でね」
「ま、待ってくださいっ――」
静子の制止に立ち止まる耕一。
今にも心臓が張り裂けるかと高鳴る鼓動。静子はそれを我慢しながら勇気を振り絞って言った。
「わ、私なんかでいいんですか?」
「…静子さん?」
「ドジで世間知らずの私なんかでいいんですか?耕一さんの邪魔になるだけですよ?」
耕一は振り返らず、最後に一言だけ言った。
「俺、惚れっぽいから…」
「――!」
静子の目から幸福の涙が流れた。
トップへ戻る 第5話へ