第5話『彼女たちの事情』
第5話
『彼女たちの事情』



耕一と静子が恋人同士になってから数ヶ月。
キスすらしていないこと焦りを感じた静子は、思い切って深雪に相談した。
「え?キスもしてないの?今時、めずらしいわねぇ〜!天然記念物ものよ」
深雪の答えに静子は複雑な思いに駆られた。深雪の言うことはもっともだった。それ故に静子は悩んで相談したのだから、深雪の答えも少し酷いものである。
「そんなんじゃ、耕ちゃんに愛想、尽かされるわよ?」
「え?や、やっぱり…」
真に受けた静子の目には涙すら浮かんだ。取り繕うように深雪が続ける。
「冗談だってば!耕ちゃんは待ってるのよ」
「待ってる?なにをですか?」
「静子ちゃんの気持ちが整理できるまでね。男性が苦手な静子ちゃんの初彼氏ですもの、これ以上、苦手にならないように気を遣っているのよ」
耕一の優しさが静子の心に響く。だが、その優しさが今の静子には重くのしかかったのである。耕一の彼女であるのに、気持ちに応えていない自分が情けなく感じた。いつも優しさに頼り切って、それが“恋”だと思いこんでいたのである。
「私、耕一さんになにができるのかな?」
「そうねぇ、このさい抱かれちゃえば?男はそれで満足するものよ」
恥じらいもなく言う深雪に静子の思考が止まった。
「だ、抱かれ……えっ?」
「耕ちゃんも男の子。好きな人を抱きたいと思っているはずよ」
「あ、いえ、でも私……経験無くて、その…」
しどろもどろ答える静子に深雪は吹き出した。純情娘をからかうのが楽しみである深雪にとって、静子は絶好の“カモ”であった。
「処女?」
「そ、そんなこと――言えません」
口ではそういうが、態度が答えを語っていた。
「大丈夫よ。耕ちゃんは優しいからね…」
そう言って深雪は遠いところを見るように視線を泳がした。首を傾げながら静子が声をかける。
「深雪さん?」
「私ね――耕ちゃんに抱かれたことあるの」
思いもよらない深雪の言葉に静子は唖然とした。
耕一さんが深雪さんを抱いた?――でも、ふたりは親子で……。
「夫を亡くしたとき、自暴自棄になったことがあったの。毎晩ヤケ酒飲んで、毎日を無駄に過ごしてた。それがしばらく続いたある夜――」

「そんなに飲んだら体に悪いですよ?」
そう言いながら耕一がリビングに現れた。酔っている深雪はギロっと睨みつける。
「耕ちゃんに私の気持ちがわかるわけないでしょっ!」
「そうですね。旦那さんを亡くした気持ちはわかりません。でも、両親を亡くした気持ちならわかりますよ?」
さわやかに言い放つ耕一に深雪の酔いが少し醒めた。
「――ごめん」
「いえ」
耕一は深雪の側に行くと、その頬を思いっきりひっぱたいた。
「……耕ちゃん?」
「深雪さん。あなたにはまだやることがあるんですよ?」
「やること?」
赤くなった頬を押さえながら深雪が聞き返した。
「そう、佳奈ちゃんがいるじゃないですか。今のあなたを見て心配してましたよ」
「………」
「だから、こんなこと今日で終わりにしましょうよ?」
「………」
「俺もできるかぎり手伝いますから…」
深雪の目からポロポロと涙がこぼれた。耕一の優しさと自分の情けなさに心が反応した。
「耕ちゃん…」
「さぁ、今日は俺がとことん付き合いますから飲みましょうっ」
耕一は遠慮なくコップに酒をつぐと、深雪の前につきだした。それを泣きながら飲み干す姿に耕一は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですか、深雪さん」
「うぅん…」
酔ってリビングで寝転ける深雪を抱えて耕一は階段を上っていった。
一段一段ゆっくり上っていくと、なんとか二階についた。そのまま引きずるように深雪の部屋に連れて行く。
「つきましたよ」
「……ぅ」
耕一は意識朦朧の深雪をベッドに寝かすとシーツを掛けた。その手を深雪が掴む。
「ごめんね、迷惑かけて」
「気にしないでください。俺が好きでやってることですから」
「本当、耕ちゃんを見てるとあの人を思い出すわ…」
深雪の顔に残る涙の跡に、再び線が引かれていった。
「俺、そんな優しい人じゃないですよ」
「ううん。そんなことないよ…」
深雪は手を掴んだまま引っ張り、耕一を自分の近くに引き寄せた。その勢いで自分の唇を押しつける。
「ちょ…、ん!?」
不意に唇をふさがれる耕一。初めてのことになにをしていいのかわからず、今の状況に身を任せるしかできなかった。
――そして数分。合図をしたようにふたりは離れていった。
「み、深雪さん?」
「なにも言わないで――私を抱いて」
深雪は耕一の首に両手を回すと、ぐっと抱きついた。
「お、俺…」
「いいの。抱いて…」
耕一は戸惑った。女性との経験が無かったからではなく、このまま流されて抱いてもお互いのためにならないと思ったからである。だが、そんな感情とは裏腹に体は正直だった。
「嬉しいわ。こんなおばさんでも反応してくれるのね?」
「そ、そんなこと…。深雪さんは綺麗ですよ」
「お世辞でも嬉しいわ」
深雪の手が耕一の股間へと這っていく。
「ちょ、待ってくださいっ」
「我慢しなくていいのよ?」
「そ、そうじゃないんです。俺、その…、したことなくて…」
耳まで真っ赤に染めて言う耕一に深雪は小さく微笑んだ。
「じゃぁ、童貞なんだ?」
「は、はい…」
「ふふふっ、私が耕ちゃんの初めての女性ってわけね」
深雪は嬉しそうにズボンのチャックをおろすと、大きくなった耕一のモノを優しく握った。
「うっ……、深雪さんっ」
「私に任せて。ちゃんと教えてあげるから…」
「で、でも……くぅっ」
渋る耕一を黙らせるように深雪はゆっくりとモノをしごく。
「耕ちゃんは私なんか抱きたくない?そんなに魅力ない?」
「ち、違います!その、あるから……えっと…」
「ありがとう。それから、私のことは“深雪”って呼んで…」

深雪は滅多に吸わないタバコに手を伸ばし、一本取り出すと口にくわえた。
「本当、あのときの耕ちゃんは可愛かったなぁ。初めてで震えてたくせに、まるで私が壊れ物のように優しく――そう、処女を相手にするようにしてたことを思い出すわ」
ポケットからライターを取り出し火をつける。一口吸い込むとタバコを口から離し、白い息を吐いた。
「あの子って優しいから、こっちまで伝染しちゃってね。教えてあげるつもりが、私の方も固まっちゃって、気がついたら処女みたいに体を耕ちゃんに預けていたの」
「………」
深雪の言葉に静子は一言も言えなかった。悔しい、耕一の優しさを間近で感じ取った深雪に静子は嫉妬していた。その事実に静子自身はまだ気づかず、苦しくなった胸を押さえるだけだった。
「それ以来かな?耕ちゃんが私のことを“叔母さん”と呼ぶようになった。きっと一線を越えてしまったからだと思うの、もうそんな間違いを起こさないようにって警告してるのよ。私に――そして自分自身にね」
「深雪さん…」
「あの子は…、耕ちゃんは優しい子よね…」
ふいに深雪の目から涙がこぼれた。静子はドキッとした、そして悟る。
「深雪さん、もしかして耕一さんのこと…」
「言わないで!」
静子の言葉を深雪は遮った。
「私と耕ちゃんは義理だけど親子なの。そんなことあってはならないのよ。でもね、私だって女なのよ、耕ちゃんを息子としてじゃなくて、男として愛してる自分がいることを知っている」
「………」
「この気持ちはしまっておくの。耕ちゃんを裏切るようで悪いからね。あの子は私を母親として見てくれているのに、その私が男として見るわけにはいかないでしょう?やっぱり、息子として見てあげなくちゃいけないのよ」
「好きな人に好きって言えないのは…」
深雪の気持ちを聞いて抗議する静子。深雪はほとんど残っているタバコを灰皿に押しつけた。
「そりゃぁ、苦しいわよ。でも、本当に耕ちゃんを愛してるから我慢できるの」
「私……よくわからないです…」
拗ねる静子の姿に深雪は吹き出した。
「静子ちゃんも大人になればわかるわよ。それに耕ちゃんを男として愛せない理由がもうひとつあるの」
「……え?」
「やっぱり、私の中では夫が一番なのよ。夫が死んで2年やそこらで他の男作ったら、あの世に行ったときなんて言われるか。そんな軽い女に見られたくないしね?」
「で、でも…、この世に残ってるのは深雪さんだけなんですよ?」
「…!」
深雪は驚いた顔で静子を見た。
この子って、子供なんだか大人なんだかわからない子ね。これなら耕ちゃんが惹かれるわけだ――私の負けね。
「静子ちゃんの言うことはわかるけど、これは私の意地――プライドなの」
「プライド……ですか?」
「一応、言っとくけど、格闘技じゃないからね?」
「そ、それぐらいわかってますっ」
深雪の言葉で今までの空気が嘘のように消えていった。
「プライドでお腹はふくれないんだけどね…」
「そうですね」
「でも、この店もプライドだけで建っているからねぇ〜」
「まったくだよ」
呆れたセリフとともに耕一が店に入ってきた。
「耕ちゃん?いらっしゃい」
「こんにちは、耕一さん」
「うん。こんにちは」
挨拶をした耕一は灰皿が目についた。深雪は自分の昔のことを話すとき、決まってタバコを吸う癖がある。
「叔母さん、また昔話でもしてたの?」
「まあね。ちょっとした世間話よ」
「どこが世間話なんだよ。目に涙の跡なんか残してさ」
耕一に言われて深雪は目尻を拭った。まだ微かにだが涙が残っている。それに気づいたのか、深雪が珍しく照れた表情をした。
「なに照れてるんだよ」
「う、うるさいわね。私だって女なんだから恥ずかしいことだってあるのよっ」
「まったく、いつもそうだったら可愛いのに…」
耕一の何気ない言葉にふたりの女性がドキッとした。深雪は柄にもなく耳まで真っ赤に染めてしまい、静子はさらに胸の締め付けが苦しくなった――さっきまでの話が原因かもしれないが。
「耕ちゃん……バカ」
「え?」
「耕一さん…」
「し、静子さん?」
深雪はそっぽを向き、静子は耕一の服の袖をギュッと掴む始末。耕一は状況が理解できず、ふたりの顔を交互に見やった。
「ど、どうしたんだよ、ふたりとも?」
「………」
「………」
耕一の問いに誰も答えなかった。訳が分からなくなった耕一は途端に居づらくなり、店を出ようと思ったが、その前に声をかけた。
「俺、バイト行くからっ」
「え?もう行くの?」
「バイトの前にちょっと顔を出しに来ただけだから、じゃっ!」
「あ、いってらっしゃい」
耕一は店を出ると急に立ち止まった。それに気づいたふたりが目を向ける。
「叔母さん、ごめん」
「え?なにが?」
「気持ちは嬉しいけど、俺は静子さんに決めたから。叔母さんは俺よりもっといい人を見つけてよね」
それだけ残して耕一は走り去っていった。残ったふたりは――
「耕一さん、どのあたりから聞いていたんでしょうね?」
「さぁ?たぶん、最後の方からと思うけど…」
不思議そうに顔を合わした。
「それにしてもあの子、無理を言ってくれるわね」
「……?」
「自分よりいい人を見つけてくれだって。こりゃ、当分見つからないわね」
深雪は再びタバコを取り出してくわえた。
「深雪さん…」
「いいのよ、あの子が選んだ道だしね。私は母親で我慢するわ」
「でも、本当の親子じゃないんですね?」
静子の言葉に深雪は少し考えた。そしてニヤリと笑う。
「そうだったわね。なら、夜這いでもかけてみようかな?耕ちゃんも最近はご無沙汰だから喜ぶわ」
「だ、だめですぅー!」
「冗談よ、冗談。まぁ、あんな息子だけどよろしくね」
「はいっ」
満面の笑みを浮かべて頷く静子。そんな彼女に深雪の一撃!
「あと、さっさと抱かれちゃいなさい!でないと夜這いをかけに行くわよ〜」
「そ、それとこれは……あの…」
どこまでいっても深雪にとって静子は“カモ”でしかなかった。




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