第6話『大胆アプローチ』
第6話
『大胆アプローチ』
-
「今日、神社で祭りがあるけど行くの?」
時刻が9時を過ぎたとき、店じまいをしている耕一と静子に深雪が訪ねた。
「俺達は行きますけど、叔母さんはどうするんですか?」
「そうねぇ、見たいテレビ番組があるんだけど、佳奈が連れていけってうるさいのよね」
わかるようなわからないような理由で悩む深雪。その答えに耕一は苦笑いを零した。
「もしよかったら、連れて行きましょうか?」
「うーん。嬉しいのはやまやまだけど、耕ちゃん達の邪魔をしそうで怖いのよねぇ」
「別に問題はないと思うんですけど?」
静子が口を挟む。だが、深雪の心配そうな顔は崩れなかった。
「でもねぇ、もし孫の顔を見るのが遅れたら嫌だし〜」
「お孫さんですか?」
深雪の言ったことが理解できない静子は首を傾げた。反面、理解できた耕一は頭を抱えた。
「叔母さん、なに考えてるんだよっ!」
「耕一さん、孫って?」
「あなた達の子供よ、こ・ど・も!」
静子の顔が一瞬にして赤くなった。さらに追い打ち。
「祭りの後、一発花火をあげちゃうんでしょ?よっ!日本一!!」
「サイテーな母親だ」
このとき耕一は頭痛薬を常備しなければと本気で考えた。
「あ、あの……耕一さん」
祭りの会場である神社の入り口で待っている耕一に静子は声をかけた。
急いで来たのか、苦しそうに息をついている。それを見た耕一は慌てて近寄った。
「だ、大丈夫?」
「は、はい。遅れて済みません」
「5分ぐらい気にしないよ。それより、これからは急いでこなくてもいいから」
耕一は改めて静子を見た。なかなか高価そうな浴衣を着こなす姿はちょっとしたお嬢様にも見えた。耕一が見とれていると、その視線に気づいたのか静子が恥ずかしそうに照れた。
「へ、変ですか?」
「いや、とっても似合ってるよ」
「よかった。お母さんに祭りに行くって言ったら、喜んで用意してくれたの」
「いいお母さんだね」
耕一の言葉に影が差した。彼にとっては禁句であることを思い出した静子は慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい…」
「え?あ、いや…、そういう意味で言ったんじゃないんだ」
慌てて取り繕う耕一。ふたりして慌ててる姿は誰が見ても仲の良いカップルである。
「あの、佳奈ちゃんは?」
「…寝てた」
「…はぁ?」
「家に行ったら、ぐっすり寝てたよ。なんだかんだ言っても子供だからね」
そう言って耕一は小さく笑った。静子もつられて微笑みながら、耕一の手を取った。
「行きましょう?」
「そうだね」
たこ焼きに焼きそば、金魚すくいや綿菓子など祭り名物の屋台が並ぶ。
中には普通、祭りで見ないような屋台も出ていたが、それはそれで客を呼んでいた。
「お祭りに来たのって、すごく久しぶりなんです」
「ふーん。俺なんか佳奈を連れて毎年来てるよ。いや、連れてると言うより連れられてると言った方がいいのかな?」
「佳奈ちゃん、耕一さんにベッタリですものね」
「それこそ昔からだよ。俺が叔母さんの養子になる前からくっついて離れないんだ」
嬉しそうに語る耕一に姿に静子は心が温かくなった。それと同時に愛しく感じる。
耕一さんは私のことどう思っているのかな?ただの恋人?それとも――
「ん?どうしたの?」
どうやらジッと顔を見つめていたらしく、静子は耕一に言われて慌てて目を反らした。
「い、いえ。なんでもないです」
「なにか考え事でも?」
「大したことじゃないので…」
静子は恥ずかしくなり、奥に駆けていった。
「静子さんっ、待って」
「こっちですよー」
「あんまり走ると危ないよ」
追いついた耕一は静子の手を強く握りしめた。
「捕まっちゃいました」
「ああ、離さないよ」
耕一の言葉に静子はドキッとした。先ほどの聞きたかった言葉の答えに思えたからである。
ずっと掴んでいてほしい手、静子は心の底から耕一を求めていた。今日なら、今なら全てをさらけ出すことができるかもしれない。静子の心に湧いたものは勇気だった。
「静子さん、花火がはじまるよ」
「…え?」
「神社の上の方に行こう!あそこなら人も少ないしよく見えるよ」
「…はいっ!」
――ドーン!パァーーーーーン!
ふたりが到着するのを見計らったように花火がはじまった。
夜空を彩る花火はさしずめ、夜の虹である。その幻想をゆっくり鑑賞するため、耕一は静子を連れて近くの休憩用に置いてある長椅子に座った。あたりに人影はほとんどなく、離れた場所に同じようなカップルが2組ほどいるだけだった。
「綺麗ですね」
「うん」
いい雰囲気になってきたと感じた耕一は思いきって、静子の肩に手を回した。
「…あっ」
「イヤ――かな?」
「……いいえ」
静子はウットリした瞳をしながら、耕一の肩に寄りかかった。
「静子さん?」
「肩、借りていいですか?」
「うん」
花火が夜の闇に花を咲かせ続ける中、静子はゆっくりと目を閉じた。
「――静子さん」
「……?」
耕一の声に静子は目を開けた。
空はいつもの闇に戻っており、自分たち以外は誰もいなくなっていた。
「起きた?」
「少し、寝てしまったようです…」
「そうみたいだね」
静子が顔を上げると、耕一がニッコリと微笑みかけた。その瞳があまりにも真っ直ぐで、静子は胸が苦しくなり俯いてしまった。
「そろそろ帰ろうか?」
「……あの」
静子が耕一の服にギュッとしがみつく。静子にしては大胆な行動に耕一の鼓動が一気に高まる。
「し、静子さん?」
「帰りたくないです…」
「え?」
「………」
静子の言葉に耕一は少し考える。そして――
「本当にいいの?」
「……はい」
「後悔しない?」
「………はい」
静子の意思を確認する。耕一は手を静子の顔にもっていくと、顎を少しあげて自分の方に向かせた。
目と目があった瞬間、静子の顔が赤く染まる。言葉はいらない、ふたりの唇は惹かれあうように自然に重なった。
「……ん」
「…はぁ」
「どんな感じ?」
短いキスを終え、耕一は静子に尋ねた。だが、静子はなにも答えず、耕一の胸にしがみつくと小さく泣き出した。
「静子さん?」
「ご、ごめんなさい。悲しくないの涙がでるんです…」
「…うん」
「胸がいっぱいになって、あふれてきて――気持ちが収まらないんです…」
「…うん」
耕一は静子を優しく抱きしめた。耕一とて気持ちは同じだった。今まで感じたこと無いものが溢れてきて、このまま抱きしめたまま離したくない気持ちに強く駆られた。
「耕一さん……耕一さん……」
「ずっと側にいるから…」
「耕一さんっ」
「大丈夫、君の側にいるから…」
耕一の部屋までの道中、ふたりは終始無言だった。
ただ、手だけは強く握り合い、それがふたりの絆の強さを表していた。
「着いたよ」
自分の部屋の前に着くと、耕一はポケットから鍵を取り出し鍵穴に差し込んだ。
「その、汚い部屋だけど…」
「………」
耕一の部屋はボロアパートの一室だが、中は本人が言うほど汚くない。
むしろ、ほとんど物が無くてサッパリしてる。畳の上に似つかぬベッドと部屋の真ん中にテーブルが置いてある以外、目立つ物は無かった。シンプルな部屋に静子は目をまんまるにした。予想していたよりもなにもないので唖然としてしまったのである。
「あ、飲み物でも入れるね」
耕一は部屋の隅にある小さな冷蔵庫から麦茶を取り出すとコップに注ぎ込んだ。
「……なんにもないんですね」
「まあね」
静子を座らせると自分も続いて座り、テーブルの上にコップを置いた。
「大事な物は叔母さんの家に置いてあるんだ」
「深雪さんの?」
「うん。最初のうちは住んでいたからね」
「どうして家を出たんですか?」
静子の質問に耕一は腕を組んだ。
「どうしてだろうな?ただ、このままじゃいけないと思ったんだよ」
「深雪さんと……その…、関係をもったから?」
「知っているんならしかたないね。確かにそれもある、でも、あの家には本当の俺の居場所はないんだよ」
耕一はコップを掴むと麦茶を喉に流し込んだ。
「意地っ張りなんだと思う。お世話になりたいのに、それだと自分が納得できないんだ」
「深雪さんみたい」
「自分でもそう思う。でも、彼女とか出来たら、さすがにあの家には連れていけないからね?」
「どうしてですか?」
「………」
静子の言葉に黙り込んでしまう耕一。どうやら静子も理解したようで、顔が真っ赤になった。
「ご、ごめんなさい…」
「いや、佳奈もいるしさ、いろいろ問題があるからね」
「………」
「………」
ふたりの会話がとぎれた。顔も合わせることなく、静かに時間は流れていく。
「………」
「………」
「……あの」
「うん?」
「お風呂、借りていいですか?」
「…うん」
ボロアパートのわりには唯一まともなユニットバスがある。そのため家賃は少し高めだが、近くに銭湯の類が一切無いので、まだ安い方であるのは間違いない。
「トイレの横にある扉の奥だよ」
「はい」
「………」
ゆっくり立ち上がって扉に近づく静子を、耕一は後ろから抱きしめた。
「きゃっ!」
突然のことに悲鳴を上げる静子。しかし耕一は離さず、強く抱きしめた。
「こ、耕一さん?」
「俺、俺……!」
言葉に詰まる耕一の手に静子の手が重ねられる。その手は小さく、少し冷たかった。
「いいんです。耕一さんの好きにしてください…」
「静子さん?」
「私が悪いんです。耕一さんをずっと待たせてしまったから…」
「そうじゃない!君が好きだから、本当に好きだから待ったんだ!」
耕一の体が震えてるのが静子にもわかった。
「俺、こんなに自分の感情をコントロール出来なくなるなんて初めてで…」
「耕一さん…」
「いいかな?俺、もう我慢できそうにないんだ…」
ふたりの鼓動が裂けそうなほど高まる。それはお互いに響き合っているので、口に出す必要もなかった。
「ひとつだけ約束してください」
「うん」
「は、初めてなので優しくしてください」
「約束するよ」
――ふぁさっ。
静子の体がベッドに緩やかに沈み込んだ。その上に耕一が覆い被さる。
耕一は静子にまとわりついている浴衣の帯を取ると、綺麗にたたんで畳の上に置いた。帯が無くなった浴衣は空気を求めるように自然に左右に開いた。それを恥ずかしそうに両手で閉じる静子。
「や、やっぱり恥ずかしいです…」
「大丈夫だよ。静子さんは綺麗だから…」
「胸ちっちゃくてもガッカリしないでくださいね?」
静子は悪戯っぽく微笑むと、両手を浴衣から離した。
耕一の目に白くて細い静子の体が焼き付く。耕一は浴衣に手を伸ばすと、肩から下ろすように脱がしていった。
「肩、細いね」
「…女の子ですから」
「うん……ちゅっ」
静子の体を抱きしめると、その細い首筋に顔を埋めた。何度も優しいキスを繰り返すたびに白い体が痙攣するように弾ける。
「あ、あん……耕一さんっ…」
「静子さんも約束してほしい」
「…え?」
「途中で嫌になったら言ってほしい。止めるから」
「で、でも…」
耕一は静子の首から唇を離すと、ぐっと抱きしめる手に力を込めた。
「俺、静子さんのこと愛しているから。ずっと一緒にいたいから…」
「こ、耕一さん…!」
「だから…、お願い」
「――耕一さんっ!!」
静子も耕一を強く抱きしめる。その目には今まで我慢してきたものが、溢れるように零れだした。
「静子さん…」
「ごめんなさい、ごめんなさい。やっぱり怖いです…」
「…うん」
「耕一さんに嫌われたくなくて、私もずっと一緒にいたくて…」
耕一は小さく頷き、泣きじゃくる静子の頭を優しく撫でる。
「無理しないで…」
「ごめんなさい。耕一さんのこと好きなのに……わたし、わたし…」
「俺も好きだよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「もう謝らなくていいよ…」
「ぐすっ……ごめんなさい…」
「大丈夫だから…」
「えっぐ……うぅ……」
「泣かなくていいからね…」
何度も耕一は慰めるが、静子は泣きながら謝り続けた…。
「来たよ、耕ちゃん」
なんとか静子が落ち着いたとき、深雪が耕一の部屋にやってきた。
「とりあえず、今日は帰ろうね」
「……はい」
そう言って納得してくれたが、肝心の浴衣の着付けが、ふたりとも出来なかった。静子は家を出るとき母親にしてもらったと言うことで却下になり、耕一は浴衣を着る習慣もなく、あえなくお手上げとなった。残るは深雪しかいないと思った耕一は、今の状況の言い訳を考えながら呼ぶこととなった。
「これはこれは、どういうことなの?」
深雪は困ったように頭を抱えた。なんだか気まずい空気の上、浴衣ははだけ、涙で目を真っ赤にした静子の姿にさすがの深雪も理解不能だった。
「静子ちゃん」
「は、はい」
「耕ちゃんに強姦でもされたの?」
深雪のセリフはある意味妥当だったのかもしれない。この状況を他人が見たら事件の匂いを感じられずにはいられないのは確か。だが、深雪はふたりをよく知っているので困惑した。
「ち、違いますっ!」
「そうだろうね。耕ちゃんは優しさが取り柄だからね?」
そう言って耕一に目を向けるが、その視線を耕一は反らした。
「なにがあったのよ、ふたりとも」
「………」
「………」
なにも答えないふたりに深雪は頭をかくしかなかった。
「わかったわ。理由は聞かない。それより私を呼んだ理由だけは聞かせて」
その言葉に静子が答えた。
「着付けね?私に任せなさい!」
「お願いします」
深雪の素早い対応で静子の浴衣はすっかり最初の姿を取り戻した。
「深雪さん、すごい」
「まぁね」
「あの…、私、そろそろ帰ります」
「そうね、それがいいわ」
静子は玄関まで進むと、足を止めて振り返った。一瞬、耕一が目を合わせたが、すぐさま反らしてしまった。それを見た静子は恋の終わりを悟った。
「耕ちゃんっ!送ってあげなさい」
「いえ、ひとりで帰りますから…」
「そんなのダメよ!わかった、私が送ってあげる」
それだけ残して静子と深雪は部屋を出ていった。
「……くそっ!」
自分一人になった部屋に耕一の言葉が響いた。
俺は彼女のこと、なにもわかってなかった!気持ちを考えてやれなかったっ!
心に悔しさと寂しさを感じながら、耕一は何度も畳に拳を打ち付けた。
「くそっ……くそっ……」
「お兄ちゃん」
突然の声に顔を上げると、そこには佳奈の姿があった。いつの間にいたのか、寂しそうな顔で耕一を見つめていた。その瞳はあまりにも純粋だった。
「それでいいの?」
「佳奈?」
「お兄ちゃんはそれでいいの?そんな簡単に諦められるの?」
「そんなわけないだろう?でも、俺はなにもわかっちゃいなかったっ!」
――パーンッ!
佳奈のビンタが耕一の頬に炸裂した。今までケリやパンチで攻撃していた佳奈が初めて平手で叩いたのである。
「わかっていないのなら、知っていけばいいじゃないっ!」
「!」
「わかろうとすればいいじゃないっ!逃げる方がよっぽど格好悪いよっ!」
「佳奈、なかなか鋭いこと言うなぁ〜」
「わ、私が本気で怒ってるのにー!!」
――バキっ!
佳奈のいつものパンチが耕一の顔面をとらえた。鼻血が垂れてきたのはご愛敬。
「それでこそ、いつもの佳奈だよ」
「お、お兄ちゃん?」
「ありがと。こんなに年の離れた妹に教えられるなんて、俺もまだまだだな」
「ま、また子供扱いしてる〜」
「そんなことないよ」
耕一は佳奈に近づくと、その小さな頬にチュッと軽くキスをした。
「え?あ、お兄……ちゃん?」
「お前が俺の妹でよかったよ」
そこにはさっきまでとは別人の耕一の姿があった。
「静子さんっ!」
アパートを飛び出した耕一は公園で静子と深雪の後ろ姿を見つけた。そして走りながら声をかけた。
「耕ちゃん?」
「………」
ふたりの足が止まる。すぐさま振り向いた深雪に続き、戸惑いながら静子も振り向いた。
「静子さん、俺…!」
「ごめんなさい」
静子は頭を下げながら謝った。その姿に耕一はひるむことなく続ける。
「私、やっぱり耕一さんが思ってるような女の子じゃないんです」
「違うんだ、聞いてくれ!」
「私たち、終わったんです…」
静子の言葉に耕一は震えた。
終わってなんかいない!だって、俺達は――!
「違うっ!」
「………」
「まだ俺と君は始まってもいないじゃないかーっ!!」
「!」
耕一は叫んだ。心の底から思いの丈をぶつける。静子の心に届くように…。
「俺はまだ君のことを知らない!」
「こ、耕一さん…」
「だから知りたいんだ!君のこと、もっともっと知りたいんだっ!!」
「耕一さんっ!」
この瞬間、ふたりは心の底から抱き合った。ちぎれかけた線を結び、紐にするために。
線と線を結びつけた陰の功労者、深雪と佳奈は顔を合わせるとそっくりの笑顔をした。
「雨降って地固まるってね」
「我が娘ながら、難しい言葉しってるねぇ」
「意味は知らないけど…」
「………」
深雪は無言で佳奈の頭をコツいた。
「どうしてぇ?」
「なんとなくかしら。言葉は意味を知って使うべしっ!」
「はぁ〜い」
「さて、私たちの役目も終わったことだし、帰ろうか?」
佳奈の手を取ると深雪は耕一達の方を見て一言。
「あんまり遅くならないうちに帰るのよ〜!それと、不発に終わったんだから、花火はあげちゃだめだからね〜!」
「な、なに言ってるんだよっ!叔母さんっ!!」
「くすくすっ」
「し、静子さん!笑うことないだろっ!?」
「ご、ごめんなさ〜い」
幸せそうなふたりを残して九十九親子は静かに立ち去った。
ただ、一陣の風を残して…。
トップへ戻る エピローグへ