エピローグ『君が見せる笑顔』
エピローグ
『君が見せる笑顔』
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あれから数年が経った。
耕一が大学を卒業し、静子も大学を卒業するとふたりは同棲を始めた。関係は依然と変わらず、一線を越えないながらも不安定になることはなく、順調に進展していった。耕一は昼は深雪の店を手伝い、夜は家計を助けるためバイトにいそしむ毎日である。静子は耕一の手伝いをしながら家事を中心に毎日を過ごしていった。
それから1年――
「朝ですよ」
「うーん」
静子は耕一の眠るベッドの側に行くと、なかなか起きない耕一の体を揺らした。その振動にさらに沈んでいくのは耕一だけではあるまい。
「起きて…」
「……ぐぅ」
「お、起きてくれないと泣いちゃいますよ?」
「…!」
静子の奥の手が光った。耕一は今まで眠っていたのが嘘のように起きたのである。
「おはようございます。耕一さん」
「おはよう、静子さん。朝から心臓に悪いね」
静子の涙にめっきり弱い耕一にとって、さっきのセリフは脅し文句であった。
あの日以来、静子を悲しませないと心に誓った耕一は何があっても、どんなことでも静子を最優先するようになったのである。その結果、佳奈がちょっとヤキモチを焼いたりすることもしばしば。深雪がからかうのも日常茶飯事なのである。
「いつも素直に起きてくれない耕一さんが悪いんですっ」
「低血圧で朝が苦手なんだよ〜」
「そんなの初めて聞きましたよ?」
「そう?理由はともかく朝が苦手なんだよ」
「わかりました。もう、起こしに来ませんっ」
静子の顔から笑顔が消えると、そのまま耕一の部屋を出ていこうとした。それを見た耕一は慌てて手を掴む。
「ご、ごめんよ!明日からは頑張って起きるから」
「……本当ですか?」
「うん!」
「嘘だったら、出ていきますっ」
耕一は力任せに静子の体を引き寄せると、無理矢理キスをした。
「……ん!?」
「………」
はじめは驚いた静子も力が抜けていき、その身を耕一にゆだねた。
――しばらくしてふたりの顔が離れると、無言で見つめ合った。
「……強引ですね」
「嫌だった?」
「微妙です」
そう言いながらも静子は笑顔だった。
「君が出ていくなら、俺も出ていく」
「どうしてですか?」
「君を追いかけるため、離さないため」
「そんなことを言っても許してあげません」
言葉とは裏腹に、顔をほころばせながら静子は人差し指を耕一の唇に当てた。
「なーんてね、冗談ですっ」
静子の指が離れると、耕一は小さく笑いはじめた。それにつられて静子も笑う。
まるで仲の良い夫婦のようなふたりの間に、やはりあの人が絶好のタイミングで殴り込んできた。
「こらっ、ふたりともっ!店を開ける時間でしょっ!」
「まったく、朝から見せつけてくれるわねぇ〜」
深雪はそう言うが、外は日も落ちてすっかり夜になっていた。
いつものペットショップには深雪と静子の姿しかなかった。耕一はバイトのため、出ていった後であった。それにしてもいつもより出る時間が早いのは、深雪のせいであった。
「そんなにラブラブなのに、まだしてないの?」
「……は、はい」
深雪は心配そうに聞いた。いくら仲が良いとはいえ、端から見たら不安定にしか見えなかった。義理とはいえ、息子の幸せを願う深雪にとって、この関係は不安をかき立てるには十分だった。
「その、まだ踏ん切りがつかなくて…」
「つまり、きっかけがあればなんとかなりそうね」
「そう……かもしれません」
静子の返事に深雪は何も答えず、タバコを取り出すと口にくわえた。
「耕ちゃんは自ら辛い道を選んだのね…」
「どういう意味ですか?」
静子の目が少しきつくなった。
「言葉の通りよ。あなたが全てを許してくれるのをずっと黙って待ってるのよ…」
「………」
「悪いと思っているのなら、早く応えてあげなさい」
「………」
深雪はライターを取り出してタバコに火をつけた。ゆらゆらと白い煙が天井に上っていく。その様をジッと目で追った。
「まどろっこしいったらありゃしないわねっ」
「……?」
「どっちも好きなんだから、さっさと結婚して孫を見せてほしいわ」
「け、結婚?」
深雪の口から出た言葉に静子は驚きの声を上げた。
ひとり混乱している静子を残して深雪が言葉を続ける…。
「耕ちゃんったら、『静子さんが全てを許してくれたらプロポーズする』ってねぇ〜?今時、はやらないわよ」
「こ、耕一さんが言ったんですか?」
「そう、『静子さんには内緒にしといて』ってね」
「……深雪さん?」
「――――あ」
しばらくの沈黙。そして深雪のタバコが手から落ちたのを合図に時間は動き出した。
「…おっと!」
「くすくすっ」
「……さっきのは聞かなかったことにしていてくれると、助かるんだけどね」
「くすくすっ――嫌です」
困り顔の深雪はタバコを一口吸い、口から離すと一息吐く。
「ふぅー、困ったね」
「そうですね」
「耕ちゃんの呆れた顔が目に浮かぶわ」
「私もです」
静子は楽しそうに微笑むと、店の奥に行き帰り支度をした。
「私、そろそろ帰って夕飯の支度をします」
「そう?10時に夕飯って言うのもなんだけどねぇ」
「ひとりで食べても寂しいだけですし…」
「あの子、本気でこの店を継ぐ気かしら?」
「本当らしいですよ?」
深雪はため息をついた。そしてタバコを一服。
「なに考えてるんだか…」
「深雪さんのためなんですよ」
静子がぽつんと呟いた。その言葉を何気なく聞いた深雪は再びため息をついた。
「変に気を遣っちゃって……バカな子」
「深雪さん…」
タバコを吸いながら嬉しそうに笑みを零す深雪に、静子は微笑まずにはいられなかった。
「…おやすみ」
いつもの癖か、耕一は自分しかいない部屋の中でそう言った。
夕飯も食べ終え、風呂も入った後は寝るしかなかった。一日の疲れがドッと溢れる瞬間である。
「……ふぅ」
小さく息をつき、ゆっくりと瞼を閉じる。全てが闇に包まれ、そのまま深い眠りにつきはじめたとき、
――コンコン!
来客の鐘が鳴った。
「耕一さん、起きてますか?」
「ん?……どうぞ」
耕一が寝ぼけた声で促すと、扉が静かに開いた。
「どうしたの?」
「耕一さんにお話があるんです」
静子のいつになく真剣な声に耕一はベッドから体を這い出した。気怠さが残っているようだが、眠気を我慢しながら静子に部屋の中に入るように促した。
「耕一さんはこんな私でも選んでくれました」
静子が扉を閉めると同時にそう切り出した。
「男性が苦手な私は、私の気がつかないところであなたに惹かれました」
静子の手が自分のパジャマに伸び、ボタンをひとつひとつはずしていく。その行動に耕一は止めることなく、静かに見守った。
「一度私があなたを拒否したとき、全てが終わったと思っていました」
「………」
耕一は静かに頷いた。静子は徐々に脱いでいき、下着だけになった。
「それでも、あなたは私を選んでくれた。私を知りたいと言ってくれた」
「…今でもそう思ってるよ」
耕一の言葉に静子はニッコリと微笑んだ。そして下着を取ると、全てをさらけだした。
「本当はずっと前から耕一さんに全てをあげることができたんです」
「………」
「でも、勇気がでなかった……踏ん切りがつかなかったんです」
「………」
何となく先が読めた耕一は落ちているパジャマを拾い上げると、静子に着せようとした。
「気持ちはわかったから、今日は寝よう」
「私を知ってください。全てを…」
静子は目の前に立っている耕一に飛びつき、口づけをした。
「……ん」
「ん――し、静子さん?」
耕一は静子の体を離すと、目をまんまるにした。
「処女を――もらってくれますか?」
「………」
「そして私を――」
静子の言葉を耕一が遮った。
「また、叔母さんだね?」
「………」
「口が軽いんだから。まぁ、過ぎたことは仕方ない」
耕一がポリポリと頭をかく仕草をすると、静子はクスクスと笑いながら耕一の胸に飛び込んだ。
「あのときとは違うんです。もう、子供じゃないんですよ」
「そうだね」
「あなたの想いに応えたい…。抱いてほしいんです」
耕一は静子の体に手を回し、ギュッと抱きしめた。
「本当に抱いていいんだね?」
「はい、処女を捨てる覚悟もできてます」
「俺がもらっていいんだね?」
「耕一さんじゃないと泣いちゃいます」
言葉とは裏腹に静子は笑みを零した。
「私を知ってださい。そして、あなたを教えてください…」
「…うん」
――ふぁさっ。
あのときと同じように静子の体が耕一のベッドに沈んだ。
「もう、後戻りできないよ?」
「私の心には耕一さんしかいないんです。後戻りする必要はありません」
「そっか。なら俺から一言――」
耕一は静子にひとつキスをしてから、ずっと言いたかったセリフをゆっくりと呟いた。
「君さえよければ、俺と結婚してほしい…」
「………」
「……嫌かな?」
耕一の言葉に静子は優しく微笑み、悪戯っ子の様な顔で言った。
「惚れっぽいからって、浮気しちゃ泣いちゃいますからね?」
< 君の素顔 FIN >
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