阪神高速道路 第2環状線 構想
 阪神高速環状線への過度の交通量を分散して渋滞を解消することを目的として、環状線を囲むように外側に第2環状線を建設する構想です。
 第2環状線構想は昭和45年に大阪地区都市高速道路網調査委員会で提起されました。昭和57年に第2環状線を構成する路線に変更があり、環状道路の南西部を泉北線、大和川線、湾岸線、淀川左岸線を経由するルートに変更され、昭和45提起のルートよりも南西部へ膨らんだ環状道路へと構想が変更されました。しかし、平成16年に近畿地区幹線道路協議会にて第2環状線構想の廃止が合意され、泉北線も都市計画が廃止されました。
 阪神高速道路「第2環状線」の構想は消滅してしまいましたが、現在、建設や都市計画決定向けて計画が進行中の大阪都市再生環状道路のルーツとも言える存在で、そのルートにかつての「第2環状線」構想の断片を残しています。都市再生環状道路の「阪神高速道路2号淀川左岸線」の大開〜豊崎は「第2環状線」と道路構造は違いますが同じルートです。この2つの道路計画は計画としては別物の扱いではありますが、「第2環状線」で最初に計画立てられた区間でもあり、大開〜海老江JCTは平成26年に開通し、海老江JCT〜豊崎間が平成32年度の開通を目指して事業が進んでいます。そのさらに東へ向かうの淀川左岸線の延伸部は都市計画未決定ではありますが、かつての「第2環状線」と、そこから放射路線として伸びるはずだった「第2京阪線」をなぞるようなルートで構想が立てられ、都市計画決定に向けた手続きが進んでいます。

阪神高速道路第2環状線と大阪都市再生環状道路



昭和45年答申の阪神高速道路 第2環状線について
 第二環状線は大阪地区都市高速道路調査委員会で答申された都市高速道路網の一路線で、他の新たに答申で提起された路線のほとんどがこの第二環状線を起点にしており、この答申の要となる環状道路です。
 この第二環状線の大きな特徴は、既存の環状線への交通集中による渋滞抑制の為に、あえて第二環状線からは既存の環状線へ入り込めない構造にしている事です。
 これは、環状線へと接続している既存の放射路線に対して第二環状線とのジャンクションを設ける際に、第二環状線の外側方面との接続のみにし、内側へ向かう接続路を設けず、第二環状線も既存の環状線とは接続していない事で可能としています。昭和45年の答申では新たな放射路線も提起されていますが第二環状線を起点にしている為、環状線への流入は基本的には無く、環状線への負担を増やすことなく放射路線を増やす事が出来ます。また、第二環状線をショートカットする路線として大阪市の中心部を東西に貫く長堀線(木津川町〜南中道町)が提起されており、この路線も既存の環状線とは接続していませんが、第二環状線と市内中心部を連絡する事で利便性を確保しています。

◆昭和45年答申の第二環状線と各路線の接続方向

※「阪神高速道路公団二十年史」に記載されていた大阪地区都市高速道路調査委員会の答申の新都市高速道路網図を元に記載しています。


昭和45年答申の構想のルート概要

区間
大阪市福島区下島付近〜大阪市福島区下島付近

◆主要ルート
旧中津運河(淀川左岸)〜大川〜京橋〜平野川〜阿倍野墓地〜南海高野線〜旧境川運河〜六軒家川

◆全長
約28.0km

◆道路構造
全線高架6車線(内回り3車線・外回り3車線)
設計速度(本線)60km/h
出入口

◆大淀町南付近
都市計画道路加島天下茶屋線、堂島十三線に接続
(梅田再開発地区への直結構想あり)

◆中津浜通付近
都市計画道路淀川南岸線に接続

◆豊崎西通付近
都市計画道路御堂筋線に接続

◆都島本通付近
都市計画道路北野都島線に接続

◆新喜多町付近
都市計画道路片町徳庵線に接続

◆南中浜町付近
都市計画道路築港深江線に接続

◆猪飼野中付近
都市計画道路難波片江線に接続

◆猪飼野東付近
都市計画道路森小路大和川線に接続

◆桑津町付近
都市計画道路尼崎平野線に接続

◆杭全町付近
都市計画道路大阪楽音寺線に接続

◆阿倍野筋付近
都市計画道路津守阿倍野線に接続

◆松通付近
都市計画道路加島天下茶屋線に接続

◆津守町東付近
都市計画道路尼崎堺線に接続

◆千島町付近
都市計画道路本田大運橋線に接続

◆北境川町付近
都市計画道路築港深江線に接続

◆西野下之町付近
都島桜島線に接続

◆下島町(大開)
都市計画道路正連寺川北岸線に接続


総工費
不明

 昭和45年の答申では、第二環状線以外にも複数の路線が提起されていますが、ここでは第二環状線についてのみ言及します。


※大阪地区都市高速道路調査委員会の答申の新都市高速道路網図と、「大阪の都市計画道路(昭和51年3月発行 発行編集;大阪市総合計画局)」を元に記載しています。(2014年8月26日 図を差し替えました)
※地名の一部は答申内容に記載されていたものを抜粋しており、旧地名のままで記載しています。

◆下島町(大開)〜中津浜通



 第2環状線は福島区の下島町(現在の大開付近)を起点・終点にしております。(以前は「都島を起点としていると」記載しておりましたが、各資料を確認したところ正しくは「福島区の下島町」が起終点となっておりました。訂正させて頂きます)
 起点である下島町(大開)付近には、現在は2号淀川左岸線の湾岸線方面への大開出入口がありますが、第2環状線では逆方向の東行き(海老江JCT)方面への出入口として計画されていました。
 「3号神戸線」と交差する付近には第2環状線の計画当時から海老江ジャンクションが計画され、神戸線にはあらかじめ第2環状線との接続に備えて、本線に分岐用のスペースが用意されており、連絡路の桁を後で建設出来るように一部橋脚は継ぎ足しが可能な構造で建設されていました。現在の「2号淀川左岸線」は第2環状線とは本線の構造が大きく異なりますが、この第二環状線用に準備されていた構造物を一部利用して海老江ジャンクションが作られています。
 海老江ジャンクションからは淀川に沿って旧中津運河のあった場所を高架で東へ進みます。途中で「池田線」と交差しますが、ジャンクションは設けずJR山陽本線を越えた大淀町南付近に出入口が設けられる計画でした。この出入口は大阪駅の北側へ延ばす構想があり、1970年の大阪市総合計画局の「梅田駅再開発計画」によると、梅田貨物駅の上に覆いかぶさるように高層ビルなどの施設を建設し、その施設へ大淀町南の出入口を直結させるというものでした。勿論、この1970年の再開発計画通りには事は進まず、現在、梅田貨物駅は廃止されて跡地は更地にはなっていますが、ニュースなどの報道によると跡地にどのような施設を造るか検討が進められいるようです。


◆中津浜通〜都島本通



 淀川沿いをさらに東へ進み阪急電鉄を越えた中津浜通付近には、豊中市内で「11号池田線」と接続する「阪神山手線」とのジャンクションと出入口が設けられる予定でした。さらに東では新御堂筋の新大阪方面と接続する豊里西通に出入口が設けられる予定でした。なお、現在計画中の阪神高速道路2号淀川左岸線も同じ場所に出入口を設けて新御堂筋と直結する予定です。
 阪急電鉄千里線を越えた長柄西通付近に「高槻線」とのジャンクションを設ける計画でした。このジャンクションを過ぎたたりで大川沿いに南東へ進み、途中で守口線と交差しますが、ジャンクションは設けずに南東へ進み都島本通に至ります。


◆都島本通〜都島中通(第2京阪線ジャンクション)



 都島本通から南東に進み、すぐ近くの都島中通には同じく昭和45年に答申された「第2系京阪線」とのジャンクションが設けられる計画でした。
 その後、京橋駅の東付近を通り、第二寝屋川を渡るあたりで、現在の大阪ビジネスパークの辺りへ向かう新喜多町付近に出入口を設け、平野川沿いに南へ進みます。


◆南中浜町〜猪飼野東



 途中で東大阪線と交差する地点にジャンクションが設けられ、ジャンクション北側の南中浜町付近と南側の猪飼野中付近付近に出入口が設けられる計画でした。東大阪線とのジャンクションは、長田方面との接続のみで、大阪市内方面への接続は計画されていませんでした。
 さらに平野川沿いに南下し、長堀通を越えたあたりに第二環状線を東西にショートカット出来る「長堀線」とのジャンクションが設けられ、猪飼野東付近に出入口が設置される予定でした。


◆桑津町〜美章園(泉北線ジャンクション)



桑津町付近に出入口を設け、杭全町付近には「八尾線」とのジャンクションと出入口が計画されていました。
 杭全町の辺りで南西へ向きを変えて美章園付近には「泉北線」とのジャンクションを設けて西へ進みます。


◆阿倍野筋〜松通



阿倍野墓地を抜けた阿倍野筋付近に出入口を設け、さらに南海電鉄を越えた松通付近にも出入口が計画されていました。


◆津守町東〜木津川町JCT



 少し西へ進むと「15号堺線」と交差しますがジャンクションは設けず、北西に向きを変えて南海電鉄高野線(汐見橋線)と並行して進み津守町東付近に出入口を設け、さらに北で木津川沿いに進みますが、この川と合流する辺りには大正区の千島町付近へと伸びる出入口を設ける計画でした。
 木津川沿いを北へ進み、千日前通の木津川町(大正橋の付近と推測されます)のあたりには、「長堀線」とのジャンクションが設けられる予定でした。

◆北境川町〜下島町(大開)



 西へ向きを変え、さらに旧境川を埋立て出来た道路沿いを北西に進み、北境川町付近(現在の港区波除付近)には出入口と「大阪港線」とのジャンクションを設けられる計画でした。接続は大阪港線の湾岸線方面のみで、阿波座方面との接続は計画されていませんでした。
旧境川沿いを進み、安治川とJR環状線、JR桜島線(ゆめ咲線)を越えて六軒屋川沿いに北へ進み、阪神電鉄なんば線(昭和45年当時は西大阪線)と交差する手前の西野下之町付近に出入口が設けられる計画でした。



第2環状線 昭和57年構想
 昭和45年答申の構想は高度経済成長が前提だったもので、その後の社会情勢の変化から21世紀初頭を完成目標とした新たな道路計画が出されたのが昭和57年の「阪神都市圏における主要幹線道路網の計画-構想編(案)」です。この構想では阪神高速道路第2環状線のルートにも変更があり、昭和45年答申のルートから南西部のルートが第2環状線単独の路線ではなく湾岸線や大和川線を含んだものになりました。この南西部のルートは現在の都市再生環状道路とも同じものです。。
 大阪高槻線の都島本通から南へ向かい、美章園で阪神高速泉北線に接続してさらに南へ向かい、浅香山町で大和川線と接続して西へ進み、湾岸線に接続して北へ進み、現在の北港JCTで淀川左岸線に接続して東へ進み大阪高槻線の大開に至るルートとなりました。尚、大和川線については昭和45年の答申でも提起されていた路線ですが、当時は湾岸線とは大和川右岸(住吉区北島町)で接続して、途中で左岸へ渡り三宅へ至るルートでしたが、昭和57年の構想では、現在の大和川線と同様に湾岸線の三宝で接続して左岸のみを通るルートになっています。
 昭和57年の時点で既に湾岸線の天保山(当時は大阪港)〜南港北が開通しており、第二環状線構想で初の共用済み区間となりました。湾岸線については他の区間も順次都市計画が決定されており、どの区間も都市計画すら決定していなかった昭和45年のルートよりも、実現性の高い構想になったのではないかと思います。

◆城東線などの第2環状線を構成する路線名の呼称について
 この昭和57年頃から、都島本通〜美章園間を「第2環状線」ではなく「城東線」と記されている事が多く、第2環状線を単独の路線としてではなく、いくつかの路線で構成される環状道路というような感じになってきました。ちなみに高見(海老名JCT付近)〜豊崎間については、大阪高槻線が地下トンネル式に淀川左岸線となった平成7年頃から現在の「淀川左岸線2期」と呼ばれるようになり、残りの豊崎〜都島本通間については「淀川左岸線3期」と記されている資料が多いようです。「淀川左岸線3期」については計画が無くなり、現在は豊崎〜門真までの路線計画として「淀川左岸線延伸部」と呼ばれています。淀川左岸線2期の次の計画区間である豊崎〜門真間を「3期」とせず「延伸部」としているのは、以前あった豊崎〜都島本通間の計画と区別するためではないかと推測されます。

◆昭和57年構想の第2環状線と現在の都市再生環状道路


昭和57年構想の第二環状線は赤線(赤文字)都市再生環状道路を青線(青文字)で記載しています。
赤線(赤文字)青線(青文字)両方の所はルートが被る所です。


阪神高速道路 昭和45年答申の第二環状線予定ルートの現在 港区・此花区編
 昭和45年に答申された阪神高速道路第二環状線については、現在の阪神高速道路2号淀川左岸線と被る区間以外は、用地買収にすら着手出来ていないのと、河川沿い(又は河川の上)に予定ルートが取られていた為、高速道路建設を匂わせるような場所は少ないのですが、ルート沿いの地域を推測を含みますがデジカメで撮影してきたのでご紹介します。
 現在は港区と此花区のエリアだけですが、少しづつ増やせればと思っています。

港区・此花区編 デジカメ撮影箇所
@大阪市港区波除1丁目・西区安治川2丁目付近から南側(16号大阪港線方面)を望む
 この中央分離帯が少し広いこの道路は、旧境川運河を埋め立てて作られた道路で、大阪市港区と西区の境界でもあります。第二環状線はこの道路上に高架で計画されていました。中央分離帯が広い理由は、第二環状線の建設を考慮してのものかは分かりませんが、現在の淀川左岸線2期と被る区間以外では、高速道路の建設を考慮したかのように見える数少ない場所です。
A大阪市港区波除1丁目・西区安治川2丁目付近から北側を望む
 @の位置から反対側の北側を見ています。安治川を渡るJR大阪環状線の鉄橋が見えます。
B此花区西九条2丁目付近よりJR大阪環状線の鉄橋を望む
 少し分かりにくいですが、青いフェンスの向こうのコンクリートの壁が安治川の川岸で、川岸沿いの道路から撮影しています。推測ですが、JR大阪環状線の鉄橋がそれなりに高さのある構造物の為、阪神高速第二環状線はこのJR環状線の鉄橋と安治川上で交差するのではなく、此花区側の高架の付近(画像では一般道路が交差している付近)で交差する計画ではなかったかと思われます。
C六軒家川の西岸のJRゆめ咲線踏切より南東を望む
 画像の右の建物の影から見えるのがJR大阪環状線の安治川の鉄橋で、左側に見える建物は学校の校舎です。第二環状線は画像のJR大阪環状線の鉄橋の左付近から「コーナン」の敷地と左側の学校の敷地を横切り画像の手前を流れる六軒家川に至る予定だったと推測されます。
DJRゆめ咲線の鉄橋を望む
 奥に見える3本の高層ビルは港区の弁天町駅前の高層マンションと商業施設オーク200のビルです。左に見切れているのは学校の校舎です。第二環状線は左の学校の校舎前の運動上あたりから伸びてきて、ちょうどこの画像を撮影した位置のあたりで六軒家川に至る予定だったと思われます。
E阪神電鉄なんば線の鉄橋を望む
 奥に微かに見えるのが阪神電鉄なんば線の鉄橋で、その手前の道路上に第二環状線の出入口(阿倍野方面)が予定されていました。
F北港通より阪神電鉄なんば線の鉄橋を望む
 阪神高速は川の上に作られる事が多く、現在の環状線も川に高架の支柱を作って川に蓋をするように高架が建設されている箇所が多くあります。おそらく第二環状線もこの川の上空を高架で進む予定だったと推測されます。
G北港通より海老江・大開方面を望む
 ベージュ色の建造物は、阪神高速道路2号淀川左岸線の大開換気所です。その左に見えるのは海老江JCTです。
H大開出入口を望む
 現在は2号淀川左岸線の湾岸線方面への出入口として完成していますが、第二環状線の計画では大開付近には豊崎方面への出入口が予定されていました。


ウィキペディア記載の「阪神高速道路 第二環状線」と森小路出入口について
 インターネットのgoogleで「阪神高速道路 第二環状線」で検索すると、ウィキペディアの「阪神高速道路第二環状線」の項目がヒットします。
 そのウィキペディアでは、阪神高速第二環状線は森小路線(阪神高速12号守口線森小路出入口)より運河沿いに南下して北津守で西大阪線へ接続、その西大阪線の安治川出入口から北上して淀川右岸から淀川大堰を通り守口線へ接続するルートが計画されていたと記載されています。このルートについてはウィキペディアにはいつの構想で、どこの計画案なのか記載がなく具体的な所が分かりません。
 大阪の環状道路構想は阪神高速道路公団設立前より構想があり、その後も形を変えて昭和45年の「大阪市総合計画」では、既存の環状線の他に中環状線と外環状線の2本の環状線を都市高速道路で整備する案を出しています。ウィキペディア記載のものはそれらの構想にあった路線を記載しているものと推測されます。

◆森小路出入口について
 また、第二環状線については、ウィキペディア以外でも「森小路出入口を延伸して〜」といった内容が検索されますが、森小路出入口が延伸可能な構造で建設された事で、いろいろと推測が出た結果だと思われます。阪神高速道路公団二十年史でも「将来の道路延伸を考慮した「ジャンプ台」を残している」と記載があり、あえてあの構造にしたのは間違いないことです。
 これは、阪神高速道路公団設立当初に大阪市で都市計画を決定する際に出された当初の都市高速道路網の全体計画にて、計画路線として森小路から延伸して運河沿いを南へ抜ける構想があった為に、このような構造になったものと推測されます。この森小路出入口は昭和40年に着工し、昭和43年に完成しましたが、昭和45年に大阪地区都市高速道路調査委員会の答申で森小路を通らない「第二環状線」が提起された事で、完成後わずか2年で延伸構想が無くなった事になります。
 昭和45年答申の「第二環状線」は、第二環状線や新たに提起された新路線から既存路線へは基本的には入れないという構造を考えて構想されていた為、既存路線へ入れてしまう森小路出入口は環状道路として延伸されることなく、別のルートで新たな環状道路として「第二環状線」が提起されたものと推測されます。
(阪神高速道路公団設立前の都市高速道路度網案についてはこちらを参照下さい)

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