阪神間南北線や京阪連絡線、第2環状線、湾岸線西伸部に相当する路線が阪神高速道路の調査路線として記載されています。
大阪高槻線は昭和45年の答申以降、沿線住民の反対による公害審査会での調停等により事実上事業が止まっていましたが、地下トンネルを主とした路線として計画そのものを出し直したのが現在の淀川左岸線2期です。
現在の淀川左岸線(延伸部)の一部にあたる部分で、昭和45年答申では「第2京阪線」と呼ばれていた区間です。
都市計画も決定して用地買収も進んで着工寸前だった平成17年、阪神淡路大震災がきっかけで路線計画を根本から見直す事になりました。地下トンネル方式への変更も検討していましたが、泉北線の前提であった第2環状線構想が無くなり、ついには都市計画廃止となりました。
昭和57年に第2環状線構想の西側のルートが大きく変更されましたが、大阪高槻線の都島本通から泉北線に接続する美章園の間は「城東線」という名称で第2環状線を構成する路線として構想が残されていました。
昭和45年に答申された第2環状線の放射路線ですが、昭和57年に第2環状線の構想が変更になった後も大阪市内から八尾への路線構想としては残っていました。
阪神高速5号湾岸線の中島から神崎川沿いに北東へ進み11号池田線(豊中市二葉町付近)と接続するルートで計画された路線です。平成に入ってから計画された比較的新しい路線で、池田線の渋滞解消を目指した路線でしたが・・・。
15号堺線の汐見橋付近から3号神戸線の西長堀入口に至る北行き一方通行の連絡線構想です。その為、西長堀出入口には将来新路線が接続出来る様に準備がされています。
昭和60年頃に京都〜大阪の淀川右岸地域を通る都市高速道路として構想された路線です。現在では構想の実現性が非常に低いのですが構想自体は残っています。
中国自動車道の宝塚ICと5号湾岸線を結ぶ構想で、武庫川の左岸の宝塚市、伊丹市、尼崎市を南北に通るルートが想定されていました。
昭和40年代からある構想でしたが、1980年代後半頃から現在の5号湾岸線の計画進行に伴うように具体化を進める動きが出始めました。
平成2年に南北への延伸が都市計画決定となり、現在開通済みの区間と南駒栄までの路線となりました。
現在の湾岸線よりもさらに沖合いに構想された路線です。通過予定自治体ではほとんど議論がされていませんでしたが、沿岸にポートアイランドなどの大規模な人工島を持つ神戸市では大まかに経由地が想定されていました。