阪神高速(京都高速)の道路計画
 1964年に現在の環状線の一部が開通してから50年近くが経ちますが、今も新路線の建設工事が続いています。
ここでは、現在工事が進められている路線の他に、計画中の路線や阪神高速道路公団時代にあった計画路線も紹介しています。


阪神高速道路 現在建設中または計画中の路線(計画前の検討中路線)

◆阪神地区の阪神高速道路
名神湾岸連絡線 阪神高速道路 湾岸線 西伸部(一般国道2号線大阪湾岸道路西伸部) 阪神高速道路 31号神戸山手線 阪神高速道路 淀川左岸線(延伸部) 阪神高速道路 2号淀川左岸線(2期区間) 阪神高速道路 西船場JCT 阪神高速道路 6号大和川線 - -
◆京都地区の阪神高速道路
阪神高速道路 8号京都線(久世橋線・堀川線・西大路線) 京阪連絡道路(第三京阪道路)

 京都市内唯一の都市高速道路です。京都の都市高速道路の建設は現在の路線で一旦終了していますが、久世橋線・堀川線・西大路線の3路線を建設する計画が残っていしたが、残念ながら2016年現在、未着手の3路線については見直しの方向で話が進んでいるようです

 松原線との三宅JCTから湾岸線との三宝JCTを結ぶ路線です。三宅JCT〜三宅西出入口までが開通し、三宅西〜三宝JCTが工事中で、全線開通は平成28年度に予定されています。

 淀川左岸線の延伸路線で、海老江JCTから淀川沿いに進み新御堂筋(大阪市北区豊崎)と接続する予定です。現時点での計画では平成32年度開通予定です。

 淀川左岸線2期区間よりさらに東に延伸させる計画で、近畿自動車道と第二京阪道路の門真JCTまでを結ぶ計画です。

 白川JCT〜湊川JCT間が供用中で、残りの未開通区間である湊川JCT〜南駒栄JCT間が湾岸線西伸部と同時期に建設される予定です。分岐線については、阪神高速道路公団の民営化時に阪神高速で建設する路線から外されていますが、都市計画自体は廃止されずに残っています。

 5号湾岸線の六甲アイランド北〜名谷ジャンクションを結ぶ湾岸線の延伸路線です。2016年に六甲アイランド〜駒栄までの新規事業化が決定しました。平成38年度の開通へ向けて事業が進められています。

 名神高速道路の西宮インターと阪神高速5号湾岸線を接続する道路構想です。(阪神高速道路として建設されるかは未定です)

 信濃橋付近で大阪港線の東行き車線と環状線を接続する計画です。16号大阪港線側では既に工事が始まっていますが、環状線側ではまだ用地買収中のようです。

 昭和60年頃に京都〜大阪の淀川右岸地域を通る都市高速道路として構想された路線です。現在では構想の実現性が非常に低いのですが構想自体は残っています。



阪神高速道路 昭和57年〜平成19年頃(公団民営化前)の計画・構想路線

阪神高速道路 神戸山手線(分岐線) 阪神高速道路 東神戸線(東神戸トンネル) 阪神高速道路 第二湾岸線 阪神高速道路 阪神間南北線 阪神高速道路 神崎川線 阪神高速道路 3号神戸線〜15号神戸線 西長堀北行き連絡線 構想 阪神高速道路 城東線(第2環状線 昭和57年構想) 阪神高速道路 泉北線 大阪門真線(現在の淀川左岸線(延伸部)の一部にあたります) 阪神高速道路 八尾線 京阪連絡道路(第三京阪道路) - -


↑平成6年の阪神高速道路網計画(阪神高速道路公団 平成6年度年報 より)
(画像をクリックすると全体を見れる大きい画像が出ます)
阪神間南北線や京阪連絡線、第2環状線、湾岸線西伸部に相当する路線が阪神高速道路の調査路線として記載されています。


 大阪高槻線は昭和45年の答申以降、沿線住民の反対による公害審査会での調停等により事実上事業が止まっていましたが、地下トンネルを主とした路線として計画そのものを出し直したのが現在の淀川左岸線2期です。

 現在の淀川左岸線(延伸部)の一部にあたる部分で、昭和45年答申では「第2京阪線」と呼ばれていた区間です。

 都市計画も決定して用地買収も進んで着工寸前だった平成17年、阪神淡路大震災がきっかけで路線計画を根本から見直す事になりました。地下トンネル方式への変更も検討していましたが、泉北線の前提であった第2環状線構想が無くなり、ついには都市計画廃止となりました。

 昭和57年に第2環状線構想の西側のルートが大きく変更されましたが、大阪高槻線の都島本通から泉北線に接続する美章園の間は「城東線」という名称で第2環状線を構成する路線として構想が残されていました。

 昭和45年に答申された第2環状線の放射路線ですが、昭和57年に第2環状線の構想が変更になった後も大阪市内から八尾への路線構想としては残っていました。

 阪神高速5号湾岸線の中島から神崎川沿いに北東へ進み11号池田線(豊中市二葉町付近)と接続するルートで計画された路線です。平成に入ってから計画された比較的新しい路線で、池田線の渋滞解消を目指した路線でしたが・・・。

 15号堺線の汐見橋付近から3号神戸線の西長堀入口に至る北行き一方通行の連絡線構想です。その為、西長堀出入口には将来新路線が接続出来る様に準備がされています。

 昭和60年頃に京都〜大阪の淀川右岸地域を通る都市高速道路として構想された路線です。現在では構想の実現性が非常に低いのですが構想自体は残っています。

 中国自動車道の宝塚ICと5号湾岸線を結ぶ構想で、武庫川の左岸の宝塚市、伊丹市、尼崎市を南北に通るルートが想定されていました。

 昭和40年代からある構想でしたが、1980年代後半頃から現在の5号湾岸線の計画進行に伴うように具体化を進める動きが出始めました。

 平成2年に南北への延伸が都市計画決定となり、現在開通済みの区間と南駒栄までの路線となりました。

 現在の湾岸線よりもさらに沖合いに構想された路線です。通過予定自治体ではほとんど議論がされていませんでしたが、沿岸にポートアイランドなどの大規模な人工島を持つ神戸市では大まかに経由地が想定されていました。





阪神高速道路 昭和45〜57年頃の計画・構想路線(現在は計画がない路線)

阪神高速道路 神戸山手線(初期構想路線) 阪神高速道路 東神戸線(東神戸トンネル) 阪神高速道路 武庫川線 阪神高速道路 阪神山手線 阪神高速道路 淀川右岸線 阪神高速道路 長堀線 阪神高速道路 第2環状線(昭和45年答申) 阪神高速道路 泉北線 阪神高速道路 大和川線(初期構想) 阪神高速道路 大阪高槻線 阪神高速道路 第2京阪線 阪神高速道路 八尾線

↑阪神高速道路道路整備第7次5ヵ年計画図(阪神高速道路公団S48年度年報より抜粋)
《画像をクリックすると拡大画像が表示されます》
阪神高速道路公団の昭和47度時点での将来構想図のようなものです。


↑昭和47年頃の阪神高速道路網図(阪神高速道路公団10年史より)
《画像をクリックすると拡大画像が表示されます》


 大阪地区都市高速道路調査委員会により昭和45年に答申された路線です。この答申の中心を成す路線で、他の昭和45年答申の路線のほとんどががこの第2環状線を起点にしています。現在の環状線の外側を囲むようなルートで計画され、この路線単独で片側3車線(上下6車線)の高架構造の環状道路を形成する予定でした。

 阪神高速道路公団で、大阪市福島区新家町(現在の大阪市此花区高見付近)〜都島区都島本通とその区間の途中の長柄西で分岐、北伸して東淀川区下新庄町へ至る路線として計画されていました。当時から名称は「大阪高槻線」となっていますが、実際は此花区〜都島の区間は第2環状線の一部で、下新庄町へ至る区間が高槻線としての本線的な部分です。

 昭和45年に答申された路線です。今の第二京阪道路とも関連のある路線です。都市高速道路(阪神高速道路)として答申されたにも係わらず、計画の具体化が進みだした頃に事業主体を日本道路公団と取り合いになってしまい・・・。

 昭和45年に答申された路線です。

 昭和45年に答申された路線です。当時構想されていた国道25号線バイパスとの関連性があり、そのバイパスの高架部分的な存在だったようです。八尾の楽音寺で国道170号線(大阪外環状線)に接続して、さらに西で十三峠をトンネルで抜ける将来構想もありました。

 美章園から泉北ニュータウンへ至る路線として昭和45年に答申されました。

 昭和45年に答申された路線です。現在の大和川線の原型となったものです。昭和45年の答申時は湾岸線〜松原市内の手前までは大和川の北岸を通り、松原市内からは川を渡り川の南岸を現在と同じようなルートで松原線に接続する計画でした。

 昭和45年に答申された路線です。主に旧大野川(現在の大野川陰緑道)沿いにルートが取られ西側では湾岸線に接続する予定でした。

 昭和45年に答申された路線です。神戸方面へ延伸してで神戸山手線と接続する構想もありました。

 現在の阪神高速神戸線の武庫川から中国自動車道の宝塚ICを結ぶ計画だった路線です。現在の宝塚ICの小浜南交差点へ接続している道路は、元々はそのまま高架で阪神高速道路本線に接続する予定でした。

 東神戸で六甲山をトンネルで南北に貫き、北は当時背山道路と呼ばれていた現在の7号北神戸線、南は現在の5号湾岸線に接続する路線として構想されました。

 当初の計画では現在と異なり、神戸市内の山手を東西に通る予定で、それが「神戸山手線」の名称の由来にもなっています。




阪神高速道路 昭和36〜昭和40年代前半の計画・構想路線(公団設立前後の初期計画路線)

◆阪神高速道路公団設立時の計画路線図

↑阪神高速道路網計画案(昭和36年)より
道路公団設立時の路線計画で、その後の阪神高速道路網の原点でもあります。



↑阪神高速道路網計画案(昭和36年)より
上記のような出入口が計画されており、交通量の予測も立てれていました。


環状線(初期計画)
 現在の阪神高速道路1号環状線です。

千里山線
 現在は計画がない路線ですが、淀川左岸を通る区間は現在の2号淀川左岸線延伸部と同じ場所です。守口線から分岐する路線として計画されていました。

守口線
 現在の12号守口線に相当する路線です。当初は名神高速道路茨木ICまで延ばす計画でした。

八尾線
 計画図では天王寺から東へ向かい、途中で北に進路を変えて守口線に接続する計画になっていますが、将来は名称の通り八尾方面への向かう路線にすべく計画されていました。

堺線
 現在の15号堺線に相当する路線です。

尼崎伊丹線
 現在の11号池田線に相当する路線ですが、当初計画では加島付近で現在の路線から分岐して杭瀬へ向かい国道2号線に接続する予定でした。

東西線
 現在の13号東大阪線に相当する路線です。

神戸臨港線
 現在の3号神戸線に相当する路線ですが、当初は現在の第二阪神国道(国道43号線)上ではなくもう少し南の当時の沿岸沿いに計画されていました。

 阪神地区の都市高速道路については、阪神高速道路公団設立前より調査研究がされており、現在の阪神高速道路の基本となる路線のほか、計画のみで消えた路線も多くありました。


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