阪神高速道路 12号守口線
 
区間
◆守口線
北浜〜守口
大阪市北区中之島1丁目〜守口市大日4丁目
(大阪市西成区南開〜同市港区弁天5丁目)


◆森小路線
城北〜森小路
(大阪市旭区中宮1丁目〜旭区新森1丁目))

出入口
◆守口線
南森町(環状線方面行き入口・環状線方面行き出口)
扇町(守口方面行き入口・守口方面行き出口)
長柄(守口方面行き出口、環状線方面行き入口)
都島(環状線方面行き入口)
城北(守口方面行き出口)
守口(守口方面行き出口、環状線方面行き入口)
◆森小路線
森小路(環状線方面行き入口・森小路方面行き出口)


開通
◆守口線
北浜〜城北(5.2km):昭和43年5月1日
城北〜守口(5.6km):昭和46年10月4日
守口JCT(守口線→近畿道松原方面行きを除く):平成26年3月23日
守口JCT(守口線→近畿道松原方面行き):平成26年7月30日

◆森小路線
城北〜森小路(1.3km):昭和43年5月1日

事業費
◆守口線
309億円
(守口JCTの事業費は除く)

◆森小路線
30億円


路線概要
 12号守口線は1号環状線を起点とする環状線の放射路線で、北区中之島の北浜から北東に伸び、守口市で近畿自動車道に接続し、本線はそのまま国道1号線の寝屋川バイパスに直結しています。森小路線は守口線の支線で、旭区の城北で分岐し森小路で国道163号線に接続しています。守口線は元々は北浜〜森小路間の路線として計画されていましたが、後に城北〜守口間を追加した為、森小路線と分岐する城北では本線である守口方面の路線の方が真っ直ぐに伸びる森小路線から分岐するような形となっています。
 守口JCTは平成26年に完成したJCTですが、この計画は守口線建設時から既にあり、近畿自動車道にも既に分岐路を作れるように準備がされていました。
 12号守口線の建設時には沿線住民の反対運動があった他、北区では戦災を受けていない地区があり、戦前からの権利関係の問題等があり土地取得に手間取るなど時間を要していました。その影響もあってか昭和42年11月22日に着工して、わずか1年半後の昭和43年5月1日開通させる突貫工事が行われています。その建設工事は現在では考えられない方法で工事が進められており、基礎工の建設時には大重量の重石の自由落下による衝撃力を利用したり、地盤を爆発させるなどの方法が取られていました。阪神高速道路公団20年史によると『当然家屋の損傷は激しく、苦情処理と第三者被害の対応に現場関係者は絶え間なず追いまくられた。』と記されており、工事による被害が相当出たようです。これは私の感想ですが、昭和40年代は環境問題に敏感になっていた時期で、阪神高速でも反対運動により計画がストップした路線がありますが、結局はこういった工事も都市高速道路建設に対する風当たりを強くした要因になたったのではと思います。



当初の計画
 前述の通り、当初は北浜〜森小路間の路線でしたが、出入口についても現在とは違う計画がされていました。

@長柄出入口の形状変更
 長柄の出入口は現在、本線のサイドから分岐する一般的な形状(本線左車線で分岐・合流)になっていますが、当初の都市計画ではセンターランプ方式(本線右車線から分岐・合流するもので、現在の阪神高速では13号東大阪線の中野や、16号大阪港線の阿波座などがそれです)でした。当時は、この長柄以外にもセンターランプで計画されていた出入口が多くありましたが、その多くがサイドランプに計画が変更されています。



A出口の廃止
 都島〜森小路間については、現在は都島入口・城北出口がありますが、当初の予定では都島(高倉町付近)にも出口があり、さらに現在の大宮町付近にも国道1号線と接続する出口が計画されていました。
 都島(高倉町付近)の出口については、計画当時は市電が通っており出口を通すには好ましくない地形ということで、大宮町付近の出口は交通量が多い国道1号線へ出口を作って交通を流すのは良くないということで計画が廃止となりました。





B森小路出入口の変更
 現在の森小路の出入口は、出口は国道163号線に接続していますが、入口は少し南にあり、国道163号線から裏道に入って入口に辿りつく感じになっていますが、当初は出入口ともに国道163号線へそのまま交差点で接続される予定でした。
 これは、国道163号線の生駒方面からの車が、森小路で高速道路を利用する際に右折進入ではなく左折で進入出来る様にする為にとられた変更です。また、この変更の際には出口も少し東にずらして、延伸を考慮したものにされています。





森小路出入口の構造
 森小路線の森小路出入口は本線を延伸可能な構造になっていますが、これは当時の計画で城北川沿い南伸する将来構想があった為のものですが、現在はその構想はありません。また、阪神高速道路第2環状線の遺構であったという記述をインターネット上でしばしば見かけますが、第2環状線は昭和45年に答申された路線で、大川沿いから都島・京橋を通る計画だった為、この第2環状線計画とは関係はありません。
 しかし、昭和45年に第2環状線などが答申されるまでは、この森小路から南伸させる事を検討していたようで、阪神高速道路公団設立時の初期構想ではこの森小路線から南伸して天王寺駅前を通って現在の14号松原線の天王寺出入口付近で環状線方面に接続する計画がありました。その後も昭和42年3月の大阪市総合計画基本構想の高速道路網整備構想図には、森小路から南伸して現在の14号松原線の平野出入口に至るルートが記載されています。この路線構想は森小路をJCTにして北へも延伸し、大まかな図ではありますが豊中付近を通り神戸方面への接続構想もある壮大なものでした。森小路出入口に用意されている延伸準備箇所を見る限りでは、将来計画線の本線のうち下り線(南行き)のみ高度を上げるような橋脚が用意されています。上り線は現在の入口に接続予定箇所と思われる部分がありますが、高度はそのままです。推測にすぎませんが城北川の上にダブルデッキ構造で建設する事を想定していたように思えますし、ここでは北への延伸構想もあったので、それのジャンクション設置を考慮していたのかもしれません。
 近年では、第二京阪道路・近畿自動車道の門真JCTと阪神高速道路を結ぶ淀川左岸線の延伸路線を検討する際に、この森小路出入口と門真JCTを接続する案がありましたが、守口線の交通量やコストの問題などから大深度地下を利用するトンネル案になっています。




↑森小路出入口にあるミニPA付近を高架下より撮影
左が森小路入口の高架で右が森小路出口の高架で、真ん中の空いてる部分がかつての将来計画線(下り線)との接続予定部分です。



↑森小路出入口の橋脚(左の高架は森小路出口で、右の高架は森小路入口です)
将来計画線の下り(南行き)本線高架桁を載せるために用意されたと思われる支柱があります。



↑森小路入口の高架(森小路入口の単独高架になっている部分で、国道163号線と交差している箇所です)
将来計画の上り(都島方面行き)の本線を接続する予定だった思われる部分があります。




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