阪神高速道路15号堺線の津守から東へ分岐して安治川へ至る延長3.8kmの短い路線で、堺線の支線のような路線ですが、兵庫県の尼崎や西宮といった阪神臨海地区と堺方面を結ぶ重要な路線です。昭和42年に全線開通し、阪神高速道路のなかでも万博に向けて環状線からの放射路線を中心に整備していた頃に開通した路線にあたります。
安治川では国道43号線の本線に直結しており、そのまま高架道路が西淀川区まで繋がっています。津守で堺線と接続していますが、堺方面との接続のみなので、西大阪線から環状線方面や、環状線方面から西大阪線へは向かえない構造になっています。弁天町で16号大阪港線と交差しますが、JCTは無く、出入口間の乗継もありません。
距離が短い為、イメージとしては15号堺線の支線、また並走する国道43号線の『有料』の高架道路に近く、北津守〜安治川には短距離区間の特定料金が設定されています。
17号西大阪線は阪神高速道路公団が万博に向けて環状線からの放射路線を必死に整備を進めていたいた昭和42年に開通した路線ですが、この路線は環状線の放射路線ではなく、前述の通り堺線の支線や国道43号線の本線の「有料高架道路」と言ってもいいぐらいの路線です。そんな時期に「阪神高速」として整備されたのにはちょっと複雑な事情がありました。
@元々は高架道路も国が整備する予定だった第二阪神国道「国道43号線」港区〜西成区
大阪市内の国道43号線は西淀川区〜港区弁天町では平面の一般部に加えて都市高速道路のような高架道路が続きますが、安治川大橋より東の弁天町からは高架の本線部分が有料の阪神高速道路17号西大阪線となり、港区〜西成区は高架が阪神高速道路で国道43号線は一般部のみとなっています。おかげで、弁天町で高架を降りて一般部へ流入する車が多く、平日は渋滞も起きています。ですが、元々はこの港区〜西成区の高架道路も含めて有料の阪神高速道路ではなく無料の高架道路として国が整備する予定で、道路構成も今とほぼ同じ『高架道路+側道(一般部)』となっていました。昭和38年には此花区と港区を結ぶ安治川大橋が開通し、兵庫県から大阪市港区弁天町まで第二阪神国道「国道43号線」が完成していました。その先の大正区と西成区、浪速区へは高架道路も含めてそのまま延伸される予定で、国の直轄事業として告示までされていました。
A第二阪神国道「国道43号線」の整備を急ぎたかった大阪府&大阪市
第二阪神国道「国道43号線」を港区から西成区への延伸に向けた調査をしていた昭和30年代後半は、全国で道路整備が必要な状況で、国道43号線を整備している国としても予算を一気に投入して早期開通というのは難しい状況となっていました。しかしがなら、港区・大正区・西区にまたがるこの地域は川で分断でされている為、この区域間の交通の便が悪く上流の橋で渋滞が慢性化しており、大阪府・大阪市としては国には一刻でも早くこの区間の整備を進めて欲しいところでした。
ですが、この区間は構造物が多いうえに川の下流で地盤がきわめて悪く、国の予算では短期間に開通させることは到底不可能でした。
B有料道路「阪神高速道路」として整備して開通を急ぐことに
大阪府と大阪市は整備を急ぎたい状況でしたが国の予算だけでは早期開通は無理ということで、出てきた案が「有料道路」として建設することでした。実は、当時既に開通していた国道43号線の安治川大橋(大阪市港区〜此花区)も大阪市の強い要望で「有料道路」として建設され、国(建設省)ではなく「日本道路公団」で建設され(正確には既に国が着工済みだったので日本道路公団から受託するというもの)、昭和38年に開通しました。
ですが、安治川大橋を建設した頃と違い、港区〜西成区の早期開通を検討していた昭和40年には「阪神高速道路公団」が既に発足しておりました。当時の阪神高速道路公団では「橋」だけを有料道路として整備しているものはなく、『都市高速道路網』として道路を整備していた為、この区間については阪神高速道路の道路網の一部として「阪神高速道路公団」での建設することとなました。
ただ、全線を完全有料としてしまうと地元からの反対され工事が出来ないという見方もあり、高架道路を阪神高速道路で、川を渡る橋の部分については、一般道路を併設する事となりました。そのような事もあり建設自体は阪神高速単独ではなく、国(建設省)との施工ということになりました。
阪神高速道路15号堺線への接続については、高架部分が「阪神高速道路」となる決まる前から立体交差(接続しない)にするか接続するかを協議されていましたが、阪神高速道路として建設が決まったことで、現在の形になりました。
併設の国道43号線が狭い理由
阪神高速道路17号西大阪線の並行する一般道路の国道43号線の弁天町〜津守については、他の区間と比べて一般道路部分が狭く、場所によっては片側1車線だったりと貧弱な構造になっていますが、これは、高架部分が「阪神高速道路」になったからではなく、別の理由があります。
第二阪神国道は、ほとんどの区間では幅50mで用地買収がされていますが、港区弁天町〜西成区については、既に一部が大阪市の区画整理によって幅40mで用地買収がされており、50mへの変更も検討されていたようですが、結局は40mの幅に一般道路と高架道路を、さらにはそのランプをねじ込む形となってしまいました。
側道+高架道路の構成は高架部分を「阪神高速道路」として建設する以前から決まっていたもので、当初からランプの設置方法などが検討され、その計画案に対して後に決まった「阪神高速道路」で必要な部分を修正・再検討して現在の道路構造となりました。この修正・再検討では、高架道路を十三間掘川(津守)までとしたうえで阪神高速道路の堺線に接続するよううに修正したとのことで、推測になりますが元々はもっと東の浪速区あたりまで高架道路の建設を計画していた可能性があります。
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